マーカーは菊池寛実記念 智美術館です。
関連リンク- 月の岬(沼田藩土岐家中屋敷跡)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP434・コマ番号261/553から沼田藩屋敷の変遷について記載されています。P435・コマ番号261/553「上屋敷 江戸見坂上」がこの地になります。
沼田藩土岐家上屋敷
[享保17年(1732年)3月1日、常陸下館藩から黒田直邦が3万石で入る。しかし第2代藩主黒田直純の代の寛保2年(1742年)7月28日、上総久留里藩へ移封となった。代わって老中であった土岐頼稔が駿河田中藩から3万5000石で入部する。第3代藩主土岐定経の代の天明元年(1781年)12月、年貢増徴に反対した領民によって見取騒動が発生し、定経は領民の要求を受け入れることで解決した。
第11代藩主となった土岐頼之は、寛政の改革で有名な松平定信の孫であったが、幕府とはあまり関係を持たず、慶応3年(1867年)4月16日に家督を土岐頼知に譲って隠居し、翌年の戊辰戦争では桑名藩や会津藩と姻戚関係にありながら、新政府軍の沼田進駐を許して新政府に恭順し、三国峠の戦いで会津軍と戦った。 (wikipedia・沼田藩#土岐家より)]
[土岐家は明暦3年(1657年)初めて幕府から上屋敷を拝領した。場所は赤坂門であった。その時の城主は上山初代城主、土岐頼行である。そして、2代城主土岐頼殷の時代に改めて、江戸見坂(現在の港区虎ノ門)に4512坪の土地を土岐家上屋敷として拝領した。土岐頼殷は延宝6年(1678年)家督を相続し、最初赤坂門の屋敷に入ったが、元禄6年(1693年)江戸見坂の屋敷に移っている。その後、寛保2年(1742年)初代沼田城主土岐頼稔が引き続き拝領した。更に、3回屋敷変えの後、宝暦12年(1762年)定経の時代に再び江戸見坂を拝領し、以後明治30年まで住んでいた。 (「関東土岐会の記事等」より)]
菊池寛実記念智美術館
[菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん、略称:智美術館)は、東京都港区虎ノ門にある現代陶芸の美術館である。
実業家菊池寛実の三女で自身も京葉ガス会長などを務めた菊池智(1923年 – 2016年)の現代陶芸コレクションを一般公開することなどを目的として2003年4月に開館した。
富本憲吉、八木一夫、加守田章二、藤本能道、鈴木藏、栗木達介などの作品を所蔵する。所蔵品を一般公開する他、企画展、「菊池ビエンナーレ」(公募展)などを開催している。レストラン「ヴォワ・ラクテ」が併設されている。
千葉亀之助の自邸を菊池寛実が引き継いだ敷地にあり、隣接する西洋館は1924年(大正13年)に建てられた千葉亀之助邸の和風本館に付属する洋館として大正15年に竣工したもので、外国人による設計と言われ、2003年に登録有形文化財に登録された。
菊池寛実記念 智美術館・wikipedia-photo (wikipedia・菊池寛実記念智美術館より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図四つ切左上に土岐美濃守上屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 1号」(コマ番号4/6・絵図四つ切右上、天徳寺下に松平右近将監と描かれ、その下が沼田藩土岐家上屋敷になります。)
「東京市拾五区区分全図 第十弐 芝区全図 – 特別区協議会」(地図中央右・西久保葺手町上部に浜田藩松平家上屋敷がありました。)
絵本江戸土産 – 江戸見坂(拡大図)
カメラ南方向が菊池寛実記念 智美術館です。