マーカーは烏森稲荷です。
烏森稲荷
[烏森神社(からすもりじんじゃ)は、東京都港区新橋二丁目にある神社である。
祭神
倉稲魂命(稲荷神)・天鈿女命・瓊々杵尊を祀る。
歴史
社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。
江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは《江戸で一二を争うものであった》という(境内案内板における山田將夫宮司の説明、1971年)
新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当神社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」と境内案内チラシにある。
境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」なるものが頒布されている。
山門(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo、鳥居(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo、烏森神社・wikipedia-photo、社殿(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo、社殿(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo、参集殿(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo、参集殿(2017年9月18日撮影)・wikipedia-photo (wikipedia・烏森神社より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「烏森稲荷社・解説は左ページ左から4行目から」(3-15)、「烏森稲荷社解説-2・右ページ左から5行目まで」(3-16)
烏森稲荷社(拡大図)
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「烏森稲荷社初午祭御旅出の図」(2-4)
烏森稲荷社初午祭御旅出の図(拡大図)
烏森稲荷参道口のカメラです。
烏森稲荷境内前鳥居のカメラです。
カメラ位置は烏森稲荷拝殿前です。