芝切通・時の鐘

マーカーはカメラ位置です。

芝切通・時の鐘
[ 芝切通は、現在の虎ノ門三丁目と芝公園三丁目の間をオランダ大使館、区立芝給水所公園に向かって上っていく坂道です。江戸時代には、江戸有数の盛り場として知られ、『新撰東京名所図会』には、
●切通坂
愛宕下より飯倉に通ずる一條の道路、青松寺(せいしょうじ)と増上寺の間の坂を切通と称す。府内備考〔御府内備考〕に云いう、切通坂は、増上寺と青松寺との間の坂なり、上り 凡(およそ)七十六間余〔約136.8m〕、青松寺東南角、桜川石橋より増上寺涅槃門(ねはんもん)際迄まで、長凡(ながさおよそ)百三十間余〔約234m〕、(坂口横幅四間一尺程〔約7.5m〕、中程横幅十四間程〔約25.2m〕)皆切通の内なり、その開かれし年月を 詳(つまびらか)にせず。
狂歌江都(きょうかえど)名所図会に云、寛永年中〔1624~1644〕、縁山〔三縁山増上寺〕西の方の山を切り広げ、往来となり、時の鐘あり、下には見せ物、浄瑠理(じょうるり)〔浄瑠璃〕、菰張(こもばり)芝居、豆蔵(まめぞう)〔大道芸人の一種〕、居酒見世、団子(だんご)茶や、大道小道具商人、古着見世等あり。〔後略〕
と記されています。芝切通は、坂道ではあるものの道幅も広く、愛宕下から現在の飯倉交差点、桜田通り方面へ通じるメインストリートであり、路上には、見世物や大道芸人、芝居小屋が出て、居酒屋、茶店、道具屋、古着屋などが立ちならぶ賑やかな場所であったことがうかがえます。その様子は、江戸時代から昭和に至るまで江戸・東京を代表する繁華街であった浅草奥山とならび評されるほどでした。
また、芝切通の坂口西側、青龍寺と青松寺に隣りあう丘の上には、鐘の音で江戸の町に時刻を伝える「時の鐘」が置かれていました。これは、元和5年(1619)、西久保八幡神社境内に設置されたものが、寛文10年(1670)に破損したため、延宝2年(1674)より芝切通に移転して再開したと伝えられます。時の鐘は、日本橋本石町三丁目浅草寺上野寛永寺本所横川町市ヶ谷八幡目白不動・赤坂円通寺(後に 成満寺へ移転)・四谷天龍寺など、江戸市中の各所にありましたが、この場所の時の鐘は、俗に「芝切通の鐘」と呼ばれ親しまれました。  (「 「資料館だより」第72号(平成25年9月30日発行) – 港区立図書館」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」(絵図中央左・青松寺と清龍寺に囲われて時鐘が描かれています。)

カメラ位置は芝切通坂の坂下で、カメラ位置付近に芝切通・時の鐘があったと思われます。

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