芝宇田川町

マーカーはカメラ位置です。

芝宇田川町
[宇田川 定氏(うだがわ さだうじ、天文2年(1533年) – 元和6年(1620年))は後北条氏の家臣。品川生まれ。通称は喜兵衛(きへ)。
定氏の父は、扇谷上杉家上杉朝昌庶子で、還俗後に宇田川郷右衛門を名乗った僧の東永(親定)であるという説がある。東永は建長寺の僧であったが、還俗後には宇田川氏が勢力を築いていた品川に居住していることから、血縁か少なくとも地縁によって宇田川を称したものと考えられる。浦安市にある旧宇田川家住宅の家伝をはじめ、旧葛飾郡を中心に上杉氏流と伝える家が多いのはこのためである。
葛西地区(宇喜田)を開発し、その名を残した。宇喜田は「宇田川喜兵衛新田」の略である。
●1533年(天文2年) – 品川に生まれる。
●1555年(弘治元年) – 小松川に移住。
●1596年(慶長元年) – 宇喜田を開発。関東郡代伊奈氏の公認・援助があったとされる。
定氏は港区の開発もしたとされる。その地域は、江戸時代には芝宇田川町と呼ばれており、居住していた浮世絵師・歌川豊春がこの地にちなんで「歌川」(うたがわ)を名乗り始めた。後にこの歌川派から歌川広重らが輩出する。  (wikipedia・宇田川氏より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」(絵図中央付近に宇田川町が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八之二」(2/2・絵図中央、増上寺北東角で桜川から宇田川が分岐しています。)

カメラ位置は浜松町一丁目交差点、交差点周囲が芝宇田川町です。また東、西方向に宇田川が流れていて、この付近に宇田川橋が架かっていました。

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