金地院(東京タワー)

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マーカーは金地院です。

金地院
[開山は南光坊天海(慈眼大師)と共に「黒衣の宰相」と呼ばれた金地院崇伝(以心崇伝)です。国師号は円照本光。崇伝が建立した金地院といえば、京都市左京区にある臨済宗大本山の南禅寺塔頭の一つ(京都金地院)が有名ですが、こちら江戸の金地院は、元和4年に江戸城内北の丸付近に創建され、三代徳川家光公の命により現在地に移築されました。崇伝は京都金地院と江戸金地院を行き来しながら政務を執ったそうです。ちなみに、現在も当寺は「南禅寺東京出張所」です。残念ながら、当時の伽藍と御本尊如意輪観音像は昭和20年3月10日の東京大空襲で全て焼失してしまいました。現在の本堂は昭和31年に再建されたもので、新刻の聖観世音菩薩が奉安されています。ちなみに、その焼け跡の敷地に昭和33年に建てられたのが、現在の東京タワーです。  (「昭和新選江戸三十三観音札所/勝林山 金地院より]

[崇伝(すうでん、永禄12年(1569年) – 寛永10年1月20日(1633年2月28日))は、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。父は足利将軍家家臣の一色秀勝。以心崇伝(いしんすうでん)、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれる。江戸幕府の制度策定などに関わり「黒衣の宰相」と呼ばれる。  (wikipedia・崇伝より)]

[永井坂(ながいざか)は、東京都港区芝公園三丁目と四丁目の境界に存在する坂。東京タワーの西側が坂の上側で、下ると飯倉交差点に出る。江戸時代、坂の北側に永井町が存在したことによる。永井町は成立当初の名主永井三郎兵衛に由来する。
坂を上ると現在の信号のある地点で御霊屋御掃除屋敷に突き当たり、その裏に金地院があって、現在の東京タワーに至る道は存在しなかった。そのまま左に折れると増上寺涅槃門の前、芝切通、後に芝広小路と呼ばれる通りに出た。
金地院の敷地を直進する道は明治10年頃になって現れた。当初は完全な直進ではなく、右斜に入った後左に折れる形をとっていた。敷地が道路に分割された後、南側は明治14年(1881年)に料亭紅葉館が建てられ、金地院は北側に残った。紅葉館は東京大空襲で消失し、昭和33年(1958年)には東京タワーが完成、坂の環境が一変することとなる。  (wikipedia・永井坂より)]

金地院 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が金地院参道で、カメラ南方向に東京タワーがあります。

金地院本堂前のカメラです。

金地院資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」[絵図左下方向に金地院が描かれています。]

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・金地院

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「金地院」(3-25)、「勝林山金地院解説-1・左ページ中程から」(3-22)、「勝林山金地院解説-2・右ページ4ページまで」(3-24)

東京タワー
[東京タワー(英: TOKYO TOWER)は東京都港区芝公園4丁目2-8にある集約電波塔である。1958年10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。東京のシンボル・観光名所として知られる。正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。
高さは333mと広報されており(より正確には332.6m、海抜351m)、塔脚の間隔は88.0m。総工費約30億円、1年半(1,974,015時間/543日間)と延べ219,335人の人員を要して完成した。地上125m(海抜約150m)と223.55m(海抜約250m)に展望台を有したトラス構造の電波塔である。
昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。テレビおよびFMラジオのアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。
長らく高さが日本一であったというイメージが強いが、実際に日本一高かったのは1968年6月26日に小笠原諸島が日本に返還され南鳥島ロランタワー硫黄島ロランタワーに抜かれるまでの約9年半と、対馬(長崎県)のオメガタワーが解体されてから東京スカイツリーに抜かれるまでの約11年間である。ただし、自立式鉄塔としては東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さであった。現在はスカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。
この塔の売り上げは観光による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする修学旅行などにおける定番の行き先として定着している。開業翌年の1959年に当時上野動物園が持つ年間入場者記録360万人を大幅に抜き、来塔者513万人(1 – 12月)を記録。一時落ち込みはあったが、現在は年間300万人が来塔している。
東京タワー2011年2月・wikipedia-photo、1961年ごろの外観・wikipedia-photo、東北地方太平洋沖地震の揺れにより曲がった先端のアンテナ部分(2011年3月11日)・wikipedia-photo、「大展望台1階には一部にガラス張りの床(ルックダウンウィンドウ)があり、足下を眺めることができる。」・wikipedia-photo、下から見るルックダウンウィンドウ・wikipedia-photo、ダイヤモンドヴェール(2012年1月)・wikipedia-photo  (wikipedia・東京タワーより)]

カメラ西方向が東京タワーです。

東京タワーエントランスホールのストリートビューです。

東京タワーのストリートビューです。

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