露月町

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露月町
[[現]港区東新橋2丁目・新橋4~5丁目
源助町の南、東海道沿いに位置する両側町の町屋。「ろげつ」ともよぶ。東は陸奥国会津藩松平家中屋敷、南は柴井(しばい)町、西は日蔭町(ひかげちよう)通を境に御目付遠山家屋敷・旗本植村家屋敷。古町であるが町起立・町名由来・草創人などは不明。かつては「ろ月町」と記していたが、宝永(1704~1711)頃から露月町と改めたという(文政町方書上)。またかつては日比谷御門内にあり老月村と称していたが、徳川家康の関東入部後江戸城修築に際して当所に移し、後に露月町と改めたともいう(新撰東京名所図会)。なお寛永江戸図には「ろう月丁」と記される。町内間数は京間で南北は西側・東側とも表63間余、東西裏行38間余、2407坪余。文政10年(1827)の家数160、うち家持1・家主23・地借36・店借100。町内の家主忠七地内に出世稲荷がある(前掲書上)。文政7年の江戸買物独案内によると鰻蒲焼屋(尾張町出店大和田兼吉)がある。慶応3年(1867)中川喜兵衛という者が町内に江戸で最初の牛鍋屋を開店した(芝区誌)。明治3年(1870)西に隣接する旧遠山邸・同植村邸敷地を官収して小石川金杉町・同堺町(現文京区)の替地とし露月町新地と唱えたが、同9年露月町に合併したという(東京案内)。遠山邸は講談などで名奉行として知られる遠山(金四郎)景元の屋敷である(沿革図書・屋敷書抜など)。  (「露月町 | 仲介手数料最大無料 | ジェイ・クオリス 港区賃貸」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右上・濱御殿の左側にある松平肥後守中屋敷の左に露月町が描かれています。)

カメラ位置は新橋5丁目交差点です。

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