青松寺

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マーカーは青松寺です。

青松寺
[青松寺(せいしょうじ)は、東京都港区愛宕二丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬年山(ばんねんざん)。
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。長州藩津和野藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用した。境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出、明治8年(1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。
青松寺仁王門・wikipedia-photo  (wikipedia・青松寺より)]

[文明8年(1476)太田道灌が開基し、慶長5年(1600)現在地(港区愛宕2丁目に移った青松寺の墓地は愛宕山に続く高台にあり、入り口近くに人の形に作られて槍持勘助の墓がある。槍持勘助(本名芦田義勝)は、美作津山藩岡山県)主松平越後守宣富の足軽で、当時越後守の槍はとても長くて重く、倒せば打ち首になるという大変な代物。これを持つ苦労を後に残すまいと、義きょう心の強い勘助は槍の柄の下方を切り、自ら切腹して果てた。元禄14年9月のことであったという。松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に鉄の筋金を入れたという。勘助の墓は奴地蔵とも呼ばれ、下の病によく効くと願をかける人が増え、全治した人は竹筒にお酒を入れてお礼をしたという。近くには都旧跡に指定されている江戸時代の儒者、井上金峨の墓や法輪大観音像、竹林、湧水などがある。  (「旧美作津山藩の槍持、芦田勘助の墓(青松寺) – 岡山県 …」より)]

萬年山青松寺ホームページ

都区内最高峰愛宕山散策~萬年山青松寺・愛宕神社: 無為庵清風

青松寺 – Google Map 画像リンク」、「法輪大観音 – Google Map 画像リンク」、「芝青松の杜 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が青松寺仁王門です。

青松寺仁王門内のカメラです。

中雀門前のカメラです。

青松寺本堂前のカメラです。

法輪大観音前のカメラです。

青松寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」(絵図中央左に青松寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖」(コマ番号37/99・青松寺御膳所絵図)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・青松寺

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「青松寺」(3-23)、「萬年山青松寺解説・右ページ左から4行目より」(3-22)

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