マーカーは飯倉熊野神社です。
飯倉熊野神社
[古来、祝融の災に遭うことたびたびに及び、古記録・宝物が失われているため、由緒沿革等詳細は不明であるが、社伝によれば養老年間(717~724)芝の海岸に勧請され、その後、現社地に遷座したという。文明年間(1469~87)太田道灌により再興され、宝物が寄進されたと伝わる。江戸時代は武家から篤い崇敬を受け、仕官の際には当社に参拝し、牛王神符を拝受したという。明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)米軍の爆撃により社殿等灰燼に帰した。同27年再建。 (「東都神社御朱印集-飯倉熊野神社」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「飯倉熊野権現社・右ページに飯倉と熊野権現社解説」(3-27)
飯倉熊野権現社(拡大図)
カメラ西南西方向が飯倉熊野神社参道です。