龍野藩脇坂家上屋敷跡(元新橋駅、汐留駅)

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マーカーは鉄道歴史展示室です。

脇坂安照
[明暦4年(1658年)3月20日、龍野藩初代藩主・脇坂安政の5男として江戸で生まれる。寛文12年(1672年)6月28日、4代将軍徳川家綱に拝謁し、延宝6年(1678年)9月13日に長兄の安村が病弱だったことを理由に廃嫡されると世子となり、同年12月28日に従五位下淡路守に叙任する。貞享元年(1684年)11月25日、父の隠居により跡を継いで藩主となった。元禄10年(1697年)には伏見宮邦永親王勅使饗応役として接待している。元禄14年(1701年)、浅野長矩吉良義央を傷付けてしまうという事件が江戸城中で起こる。いわゆる元禄赤穂事件の始まりであるが、この時安照は浅野氏の居城である赤穂城受け取りの正使を務めている。そしてその後1年半の間、長矩に代わって永井直敬赤穂藩主として赴任してくるまで、赤穂城の在番を務めている(ただし、実際には龍野藩の家老200名などによって在番されていたという)。  (wikipdia-脇坂安照より)]

新橋駅(汐留駅)
[汐留駅(しおどめえき)は、東京都港区東新橋1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)の駅。東海道本線の貨物支線(東海道貨物線)上にあった。1872年10月14日(明治5年9月12日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋駅(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。また1873年(明治6年)9月には、当駅と横浜駅(初代・現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車無蓋車を使用していたという。
しかし、1914年(大正3年)に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京駅に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留駅と改称した。なお同時に、電車線の駅であった烏森駅が、新橋駅(2代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった。鉄道による荷物輸送が1986年(昭和61年)11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(1973年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。再開発工事は1995年(平成7年)から開始され、その際に旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、2002年(平成14年)以降には同跡地に汐留シオサイトとして事業者用の高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめ都営大江戸線汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。跡地は、1996年(平成8年)12月10日に「旧新橋停車場跡」として国の史跡に指定された。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年(平成15年)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年4月10日開館。
浮世絵に描かれた開業当初の駅舎・wikipedia-photo、新橋駅0哩標識(鉄道記念物)・wikipedia-photo、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室・wikipedia-photo  (wikipedia-汐留駅_(国鉄)より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」[絵図右上・汐留橋の下・脇坂淡路守が龍野藩脇坂家上屋敷です。]

「国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「八[144] – 98/144、99/144、100/144」(絵図右程に脇坂中務少輔と描かれています。)

旧新橋停車場 – Google Map 画像リンク」、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向が龍野藩脇坂家上屋敷跡(現鉄道歴史展示室)です。

カメラ位置は再現された旧新橋停車場跡のプラットホーム前です。

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