葛飾北斎-「江戸の画」

葛飾北斎の江戸の画-「ボストン美術館」からダウンロードメトロポリタン美術館からダウンロード、及びwikipedia・葛飾北斎よりダウンロードしています。


 

汐干狩(拡大画像リンク)
[遠景に富士山を見る、登戸浦(のぶとうら)(千葉市中央区登戸神社)の汐干狩画と想像しています。富嶽三十六景(wikipedia-photo)で描かれた場所。]
    

両国すゞみ(拡大画像リンク)
[隅田川西岸・薬研堀付近からの画と思われます、左に両国橋、対岸に竪川に架かる一之橋が描かれています。]

隅田川で米を運ぶ船(拡大画像リンク)
[浅草御米蔵に米を運ぶ水運の状況画で、左端に新柳橋、右端に描かれているのは首尾の松ではないかと思います。]
  

吾妻橋ヨリ隅田ヲ見ル之図(拡大画像リンク)
[吾妻橋下流から上流側を見た画になり、右側が向島、左側が浅草花川戸町になります。]

今戸-瓦師(拡大画像リンク)
[隅田川沿岸の浅草今戸周辺には瓦を焼いていた達磨窯があり、「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「今戸焼」(17-45)」(江戸時代後期 天保年間)などの絵図にも描かれています。  (「富山藩邸の家紋瓦」より)]
  

王子道端の景(拡大画像リンク)
[画右下の粽売りの露店左の木の周囲に藁を巻いて、そこにからくり玩具を飾りお土産として売っています。]
[王子稲荷は関東稲荷の総元締で、昔から庶民の信仰が厚い。その参拝土産がこの暫狐(しばらくぎつね)で、竹串を上下させると狐の持っている中啓が振られる仕掛けになっている。江戸後期、九代目市川団十郎(※江戸の名所・王子(93p-96pでは七代目市川団十郎に因むものと理解するのが妥当であろうとしています。)が歌舞伎狂言の「」を上演する際、王子稲荷に祈願して大当たりをとった因縁から、からくり玩具に仕立てたものである。  (「東京都の玩具 – asahi net」より)]

王子稲荷(拡大画像リンク)
[画右端の小僧さんが凧あげのからくり玩具で、背負われた子供をあやしています。]
[王子稲荷神社の「凧市」は、江戸時代から続く名物行事。当時、江戸のまちはよく火事に見舞われ、熱風が大火につながることから、風を切って揚がる凧を火事除けのお守りにと、民衆が同神社の奴凧を「火防の凧」として買い求めたのが始まり。奴凧をまつると火難をまぬがれ、無病息災、商売繁盛にご利益があるとして、現在に至るまで多くの人々に親しまれている。  (「王子稲荷神社で「凧市」開催 – 東京都北区」より)]
    

歌舞伎囃子方支度部屋(メトロポリタン美術館・拡大画像リンク)
[歌舞伎では、三味線以外の楽器全般やその演奏を「鳴物」とよんでいます。
「長唄」の「唄方(うたかた)」と「三味線方(しゃみせんかた)」とともに舞台上で演奏する場合は、とくに「出囃子(でばやし)」とよばれます。「黒御簾(くろみす)」で演奏される場合は、「下座音楽(げざおんがく)」に含まれます。なおどちらの場合も演奏者は、「囃子方(はやしかた)」とよばれます。
「出囃子」では、「四拍子(しびょうし)」と総称される太鼓(たいこ)・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ、おおかわ)・笛[能管(のうかん)または篠笛(しのぶえ)]を中心とした楽器が演奏されます。  (「鳴物 | 歌舞伎の演出と音楽」より)]
  

吉原楼中図(拡大画像リンク)
[北斎は浮世絵師の中では、美人画をあまり描きませんでした。しかもどのような主題でも続き物は少なく、本作のような5枚続きは他に例がありません。ボストン美術館(※表示画像)などにも所蔵例がありますが、神戸市立博物館本は紫色などの発色が美しく、抜群の保存状態で伝世した貴重な例です。かなり大きな吉原の遊郭の内部が詳細に描かれ、右上の出入口に暖簾らしきものがかかっていて、この妓楼の名前が記されているようですが、残念ながら判読できません。ただ、鳥居清長「新吉原江戸町二丁目丁子屋之図」と共通する室内調度が見られることから江戸町の丁子屋の可能性もあります。  (「吉原楼中図 よしわらろうちゅうず – 文化遺産オンライン」より)]

鳥居清長「新吉原江戸町二丁目丁子屋之図」(拡大画像リンク)
鳥居清長: 「新吉原江戸町二丁目丁子屋之図」 – 立命館大学」よりダウンロード

『節李の商家』- 肉筆画。北斎と娘の葛飾応為の合作。オランダ商館医であったシーボルトが国へ持ち帰ったと伝えられる1枚。オランダ国立民族学博物館所蔵。(wikipedia-photo)