葛飾北斎-画本東都遊・上

葛飾北斎の『画本東都遊』を早稲田大学図書館「画本東都遊. 上,中,下 / 浅草菴 [作] ; 北斎 画」よりダウンロードして利用しています。また「国立国会図書館デジタルコレクション-画本東都遊 3巻」の書誌の解題/抄録に
『葛飾北斎画の江戸名所絵本。大本3巻合1冊。当該本は刊記を欠くが、通常、見られるのは享和2年(1802)春、蔦屋重三郎他3軒連記のものである。極彩色摺り。初板は、北斎の本格的な絵本の魁として、寛政11年(1799)春、『東遊』の書名で、蔦屋から墨摺りの絵入り狂歌本として出された。当該本は、その絵丁だけを集めて、順番を改め、彩色を施し、江戸名所絵本として再生させたもの。浅草菴の序は、年記部分を享和2年正月に改変しただけで、あとは初板に同じ。そのため江戸の名所を「なにかしか絵にうつさせ、例の友とちのされことを物して」云々とあるうち、「なにかし」(北斎)に写させたとするのはよいが、仲間の「されこと」(狂歌)を集めたというのは、中身と齟齬がある。絵は、芝神明春景、日本橋以下、人の表情が判別できない、細密な線描による景観図が大半を占める。佃白魚網の千石船、新吉原仲の町の花見、その他、後続の名所絵に与えた影響は大きく、半丁図の日本橋長崎屋の阿蘭陀人図や蔦屋の店頭図は有名である。半井卜養英一蝶その他、画中の賛も注目すべきであろう。(鈴木淳)
〈参考文献〉永田生慈編『北斎の狂歌絵本』1988年11月、岩崎美術社。』とあります。

葛飾北斎-画本東都遊・上.pdf」リンク

芝神明宮 春景(拡大画像リンク)

日本橋(拡大画像リンク)
[魚河岸上空から日本橋一石橋、江戸城を望む景色。]

飛鳥山(拡大画像リンク)
[飛鳥山の鳥瞰画で左ページには、1737(元文2)年に徳川吉宗の功績を顕彰するために建てられた「飛鳥山碑」が描かれています。]

隅田川 春雪(拡大画像リンク)
[竹屋の渡しの画と思われます。竹屋の渡しは山谷堀から 向島三囲神社の前あたりとを結んでいた。左ページに山谷堀端に設けられた船着き場と屋形のついた猪牙舟が描かれています。]

待乳山(拡大画像リンク)
[山谷堀に架かる山谷橋の右に本竜院(待乳山聖天)、山谷堀左の隅田川に船着き場が描かれ、猪牙舟で訪れた遊客がここから吉原に向かう。]

請地 松師(拡大画像リンク)
[「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」に挿絵「請地 秋葉権現宮 千代世稲荷社」(19-12)があり、請地と記述され、本文(19-11)に「同町三丁目より東の方請地村があり」と記述されています。『隅田川向島絵図』を見ると、秋葉稲荷神社の上、下に『請ジ』、左方向に「葛飾郡請ジ本村」と記述されています。また、向島の蓮花寺は「寺島大師」とも呼ばれ、その大師の北側に「此邊松ノ名所ナリ」と記述されています。]

梅屋敷(拡大画像リンク)
[梅屋敷は伊勢屋喜右衛門の別荘内にあり、300本もの梅の木が植えられ、梅の名所として賑わった。竜が地を這っているかのような形状の梅の古木「臥竜梅」が名高く、水戸光圀の命名と伝えられている。土産物として梅干しも売られていた。
江戸名所図会を読む:
    梅屋敷(挿絵)
    臥竜梅(本文)  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「日本橋 (にほんばし)」より)]

牛島 中田屋(拡大画像リンク)
[秋葉権現社の周辺は、料理屋が多くあったことで知られていますが、延享(1744-1748)の頃は三囲稲荷土手下の中田屋一軒だったようです(古今名家戯文集)。安永6年(1777)の黄表紙『親敵打腹鼓』(おやのかたきうてやはらつづみ)に出てくる中田屋(葛西太郎)の挿絵には鯉鮒料理の外に、うなぎの蒲焼、どじょうの吸い物などの品書きが見えます。『江戸名所図会』巻七(19-10)の庵崎(いおさき)(雪旦画)には武蔵屋の付近の様子が描かれています。庵崎とは隅田川東岸の向島を指しますが、画は向島四丁目付近の風景です。「酔客多くここに宴飲す」として葛西太郎と武蔵屋の記述があります。  (「We30.pdf – 墨田区」より)]
[「葛西太郎【角田川の辺、牛島といふ所に中田屋といへる酒家あり。みな人これを葛西太郎とよぶ。いけすの鯉に名あり】
 ふたつもじ牛の御前のむかふ島太郎が鯉は池の中田や」
「葛西太郎に過る
 鳥居半ばは大川端に出づ  遥に指す三囲稲荷の壇
 蘆の葉刈り来て洗ひ鯉を盛り  蒲焼食ひ尽して長鰻(ウナギ)を割(サ)く
 葛西の名は太郎の鼻ん掛け  晋子(キカク)が句は百姓の肝を翻す
 晩(ク)れに向て船頭呼べども起きず  屋根舟の内只鼾(イビキ)を聞く」  (「大田南畝・見世・か」より)]

    「葛飾北斎-画本東都遊・中