江戸時代武家屋敷に神社(邸内社)を祀る例が多くあり、江戸市民に親しまれた例として、港区虎ノ門にある虎ノ門金刀比羅宮は、万治3年(1660年)に讃岐丸亀藩主であった京極高和が、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請したのが始まりで、延宝7年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月10日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。また、日本橋蛎殻町にある水天宮は、文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸屋敷に久留米の水天宮分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりで、江戸市民の要請により、同年から毎月5の日に一般開放され、その人気ぶりは「情け有馬の水天宮」という地口も生まれたほどでした。
明治維新後、武家屋敷にあった邸内社は2社以外にも地域の信仰に支えられて存続しているものが多数あります。「Google Earth で街並散歩(江戸編)」でとりあげた邸内社をまとめてみました。また、邸内社以外に西大平藩大岡家中屋敷には豊川稲荷、熊本藩細川家下屋敷には清正公寺が勧進されています。
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