古川(銅像堀公園)

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マーカーは銅像堀公園です。

古川(銅像堀公園)
[安政新刻隅田川向嶋繪圖の隅田川西岸の弘福寺長命寺間に描かれる河川は(実際はもう少し上流)古川で、俗にばん堀ともいう。洲崎村と寺島村の境川であった。
 この古川と交差する河川が曳舟川で、中川から取水し向島地域を縦貫していた。  (「江戸切絵図散策」より)]

[ここで少し地蔵坂通りから逸れるが銅像堀から流れる古川に関する一つの発見があったので述べてみたい。「葛西志附圖・北十間川以北至古隅田川略圖」をみると、墨堤通りが長命寺の北・言問団子のところで、右に入る隅田公園への道と、左斜めに下りる道とに分かれる。後者左斜めに下りる道は元銅像堀入江から流れる古川の分流が流れてその跡に出来た道であることがわかる。
 また、「新編武蔵風土記稿巻之二十」では、北十間川は「昔は業平橋の北より横川の枝流となり、押上請地龜戸の内を斜に東の方中川に達せしが、・・・・・云々中略・・・・・此川古は柳島村の邊より請地古川と唱ふる川にも通じて、洲崎村長命寺の北にて隅田川に合流せしさまなり」。
 以上これらの記録から、銅像堀から鳩の街へ流れる古川の本流とは別にもう1本長命寺手前まで流れる古川の分流があり、それが長命寺の北から業平橋あたりへ達していたこと、それを隅田川の入堀で寛文3年(1663)に堀割りした源森川と接続させた。北十間川の成立過程を考えると、これが江戸から現在の北十間川の姿ではないかと思われる。  (「第1寺島小学校」より)]

国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」(絵図右中央に弘福寺と長命寺の間に古川が描かれています。ただ、古川の隅田川口は絵図に描かれている位置よりも北方向(銅像堀公園)にあり、長命寺、長命寺桜もちの北側に古川がありました。]

国立国会図書館デジタルライブラリー – 牛御前辺. [1][2]」(2/6図よりコピー)[長命寺、牛御前、弘福寺の上方向に古川が描かれ、古川下に川筋が描かれています。)

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