吾妻橋・隅田川

マーカーは吾妻橋です。

東京都立中央図書館隅田川両岸一覧図絵 上隅田川両岸一覧図絵 下
『江戸地誌とその周辺』図録解説p.10「隅田川の東岸、西岸の風景をそれぞれ1巻ずつ絵巻物に仕立てたもの。東岸は永代橋から千住までを、西岸は橋場の真崎稲荷から高輪辺までを順に描き、四季の変化をたどる趣向になっている。後人の手になる地名の付箋がついている。 鶴岡蘆水画 天明元刊 2帖」/『江戸時代特別資料展』図録解説p.2「隅田川の左岸・右岸を眺めた状態で描き、墨摺に彩色したもの。後の浮世絵師に影響を与えたといわれる。/『江戸の夏』図録解説p.5「隅田川を描いた画は多いが、両岸の風景が展開する絵巻物形式で、版画ではこの作が初めとされる。東岸は、沢田東江の書(天明元年夏・署名)に次いで永代橋から遡り綾瀬方面に至る。西岸は真崎稲荷から下って佃島に至り、東江の跋で終わっている。見所が多いためか、西岸がやや詳しく、両岸自ら四季の変化を描き込んでいて面白い。今回は夏の部分を選び東岸の両国橋・西岸の中洲を展観に供した。中洲は安永頃開かれ、四季庵をはじめ九十余軒の茶屋ができて田沼時代には盛況を極めたが、寛政元年取払いを命ぜられた。画家鶴岡芦水は翠松斎と号し、下谷金杉に住し、文政末まで存命したという。画系等も明らかでないが、「従観之美於此巻悉収之」と跋にある通り、実写らしい迫力が感じられる。 2巻 鶴岡芦水画 天明元刊(筆彩) 2軸」/『第2回江戸資料展』図録解説p.26「隅田川東西各岸別に川筋の景色を写生したもの。水路として利用するのみでなく、この川の風物をめでた当時の人々のふぜいがしのばれる。本来は木版単色のものであるが、これは後人が筆彩し、地名等を付している。」/『古書錦絵展』図録解説p.13「鳥瞰式図法を用いた最初の絵で、後の浮世絵師たちに大きな影響を与えた。隅田川両岸の版画としては最初である。」 (「資料解説」より)
大川橋西岸

大川橋東岸

  
吾妻橋・隅田川
[創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。江戸時代隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が江戸幕府によって許可され、着工後5年で完成したものである。長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残る。1786年(天明6年)7月18日の洪水の際に永代橋新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中で無傷で残り、架橋した大工や奉行らが褒章を賜ったという。その後幾度かの架け替えが行われたようである。橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれた。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。しかしながら、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。この最後の木橋は1885年(明治18年)7月の大洪水で初めて流出した千住大橋の橋桁が上流から流されてきて橋脚に衝突。一緒に流失してしまう。そのために1887年(明治20年)12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋された。鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。後に関東大震災によって木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後1931年(昭和6年)に現在の橋に架け替えられた。
東京都墨田区から。(2005年8月)・wikipedia-photo、1887年完成の旧鉄橋・wikipedia-photo、1887年完成の旧鉄橋(俯瞰)・wikipedia-photo  (wiikipedia・吾妻橋より)]

[現在も同じ場所に吾妻橋が掛かる。安永3(1774)年、6名の町人が江戸幕府の承認を得て架橋。江戸時代の隅田川には両国・永代・吾妻・新大橋の四橋があったが、吾妻橋を除く三橋はいずれも幕府で架設されたものであった。名前の由来は、江戸から東へ通じる、または江戸の東にあるという意味の「東橋」からで、みやびな表記「吾妻橋」が好まれた。正式に「吾妻橋」となったのは明治9(1876)年。  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「吾妻橋」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図中央上・大川に架かる橋が吾妻橋です。)

国立国会図書館デジタルコレクション- 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図」、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図

(名所江戸百景・ 吾妻橋金龍山遠望wikipedia-photo)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「大川橋」(19-3)、「隅田河解説-1・左ページ1行目より」(19-14)、「隅田河解説-2」(19-16)、「隅田河解説-3」(19-17)、「隅田河解説-4・左ページ2行目まで」(19-18)、「隅田川堤春景」(19-20)
(拡大図)

隅田川堤春景(拡大図)

絵本江戸土産 – 隅田川桜堤(拡大図)

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「墨田川堤看花」(2-12)、「良夜墨水看月」(4-23)、「隅田川看雪」(5-20)、「彼岸六阿弥陀詣」(2-6)

江戸遊覧花暦. 巻之1-4 / 岡山鳥 編輯 ; [長谷川雪旦] [画]」・「隅田川」(1-16)、「其二」(1-17)、「隅田川堤解説-1・右ページ8行目より」(1-18)、「隅田川堤解説-2・右ページ最終行まで」(1-19)、「隅田川の雪」(3-30)

絵本江戸土産 – 宮戸川 吾妻橋(拡大図)

絵本江戸土産 – 隅田堤花盛(拡大図)

「東都名所」(隅田川堤向島の図江都名所 隅田川はな盛隅田川全図雪中景隅田川全図雪中景-2隅田川全図雪中景-3)

新撰江戸名所 隅田川堤

小金井橋桜の道標」(上絵図隅田川の右に大川ハシが描かれています。)

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](吾妻橋金龍山遠望・wikipedia-photo)

江戸後期の、向島の土手の写真です。

吾妻橋 – Google Map 画像リンク」、「隅田川ライン – Google Map 画像リンク」、「吾妻橋船着場 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は隅田川で、カメラ南南西方向が吾妻橋、カメラ北北西方向に遊覧船乗り場があります。