曳舟川/古川の土手道

マーカーはカメラ位置です。

曳舟川/古川の土手道
[安政新刻隅田川向嶋繪圖の隅田川西岸の弘福寺長命寺間に描かれる河川は(実際はもう少し上流)古川で、俗にばん堀(鷭堀)ともいう。洲崎村と寺島村の境川であった。
 この古川と交差する河川が曳舟川で、中川から取水し向島地域を縦貫していた。開削されたのは万治頃(1658年 – 1660年)よいわれ、別に本所上水といい、上水道と計画されたが水質は悪く享保7年に廃止され、灌漑用の一般河川となった。  (「江戸切絵図散策」より)]

[曳舟川の名称が付けられた区間は、江戸期に開削された葛西用水や亀有上水の水路を利用しており、昭和4年の荒川放水路の開削による川筋の分断のために早くから自動車道に改修された。
江戸期の後期から明治の初めごろにかけて行われた曳舟は、一種の水上交通機関ではあったが、舟を曳く動力が陸からの人力であるため、馬とか籠などの陸上交通機関の要素も含まれたものであり、当時曳舟は異色の交通機関として人気があり、江戸市中から下総、水戸方面へ行く、多くの旅人に利用されている。他の都市河川と同様に、1964年東京オリンピックが開催された昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であったが、高度成長期に入ると生活雑排水やメッキ工場からの排水が流れ込み瀕死の状態なっていた。排水規制等によって、水質は改善されたものの、葛西用水の一部区間の公園化や葛西用水からの取水ができなくなったことにより、現在の曳舟川は、支流も含めて埋め立てられ、川は存在しない。  (wikipedia・曳舟川より)]

国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」(絵図中央右・北から南に流れるのが曳舟川、絵図右中央付近弘福寺と長命寺の間を南東に流れる川が古川です。)

カメラ位置は押上2丁目で、カメラ北方向・右の通りが曳舟川、左の小路が古川の土手道になります。曳舟川が北東から南東方向に、古川が古川の土手道の南側を北から南方向に流れていました。

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