木母寺

マーカーは木母寺です。

木母寺
[この寺は寺伝によれば、976年(貞元元年)忠円という僧が、京都から人買いによって連れてこられてこの地で没した梅若丸を弔って塚(梅若塚:現在の墨田区堤通2-6)をつくり、その傍らに建てられた墨田院梅若寺に始まると伝えられる。1590年(天正18年)に、徳川家康より梅若丸と塚の脇に植えられた柳にちなんだ「梅柳山」の山号が与えられ、江戸時代に入った1607年(慶長12年)、近衛信尹によって、梅の字の偏と旁を分けた現在の寺号に改められたと伝えられており、江戸幕府からは朱印状が与えられた。明治に入ると、神仏分離に伴う廃仏毀釈によりいったん廃寺となったが、1888年(明治21年)に再興された。その後白鬚防災団地が建設されるにあたり、現在の場所に移転した。  (wikipedia・木母寺より)]

ホーム – 木母寺 公式ホームページ (天台宗 梅柳山 隅田川厄除大師)

木母寺|梅若山王権現の舞台梅若寺、墨田区堤通にある天台宗寺院 猫の足あと

木母寺資料リンク
江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、四つ切左下・荒川の上方向に木母寺御膳所が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖」(コマ番号61,63/99・木母寺御膳所絵図)

国立国会図書館デジタルコレクション – 角田川ヨリ綾瀬川迄」(各巻号コマ番号4/6・絵図中央左端に木母寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」(絵図右下あやせ川の上方向に木母寺が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「木母寺梅若塚水神宮若宮八幡」(19-23)、「梅柳山木母寺解説-1・左ページ最終行から」(19-21)、「梅柳山木母寺解説-2、梅若丸塚解説-1」(19-22)、「隅田川東岸(内川)」(19-24)、「梅若丸古事」(19-25)「梅若丸塚解説-2」(19-24)、「梅若丸塚解説-3」(19-26)、「梅若丸塚解説-4・右ページ中程まで」(19-27)
木母寺水神宮若宮八幡(拡大図)

[図会左ページ下に水神(隅田川神社)、その上に木母寺、木母寺境内に梅若塚、右ページ右上に若宮八幡が描かれています。若宮八幡は大正時代の荒川放水路開削により、隅田川神社へ遷座しています。]

隅田川東岸(内川)(拡大図)

梅若丸古事(拡大図)

[絵には「梅若丸七歳のとし、比叡の月林寺(がつりんじ)をのがれ出て、花洛(みやこ)北白川の家に帰らんとしさまようて大津の浦に至りけるに、陸奥(みちのく)の信夫(しのぶ)の藤太(とうた)といえる人あきひとのためにすかしあざむかれてはるばるとこの隅田川に来ぬることは、本文(ほんもん)に詳(つまびらか)なり。 因(ちなみ)に云う人買い藤太は陸奥南部の産なりとて、今も南部の人は其の怨霊あることを恐れて木母寺に至らざること、矢口の新田明神へ江戸氏の人はばかりてもう出ざるがごとし」とあります。  (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之七 第十九冊」より)]

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「木母寺大念仏」(2-20)
木母寺大念仏(拡大図)

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](木母寺内川御前栽畑(内川と呼ばれる水路で隅田川とつながっていた。)・wikipedia-photo)

木母寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が木母寺山門です。

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