源森橋(枕橋)

マーカーは源森橋(枕橋)です。

源森橋(枕橋)
[寛文2年(1662年)関東郡代であった伊奈半十郎[伊奈忠克(1653年 – 1665年)]により 中之郷(現在の吾妻橋から向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。またその北側にあった水戸屋敷内に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。この二つの橋は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるようになった。
 その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。明治8年、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。
 現在の枕橋は昭和3年に架け替えられたものである。昭和63年、本橋は東京都著名橋に指定された。  平成4年3月  (「僕の好きな橋|あきかぜわたる – Ameba<」より)] [吾妻橋一丁目と向島一丁目を結ぶ橋。昭和3年11月に架けられた橋で、創架は寛文2年(1662年)です。墨田区役所前の通りを隅田公園方面に渡しています。墨堤はここから言問団子まで高速道路の下になります。
  この橋ははじめ源森橋と称しましたが、ほとりに源兵衛という船乗りが住んでいたので、源兵衛橋とも呼ばれていました。又源森橋の北に水戸藩下屋敷(現隅田公園)があり、そこに入る掘割に新小梅橋という小橋が並んであったため、ふたつ並びし枕橋と小唄にも謡われていました。
 明治8年に俗称の「枕橋」が正式名となり、源森橋の名は東隣りの無名の橋に譲りました。  (「ユートリヤ/すみだの川と橋/北十間川に架かる橋」より)]

[北十間川の名称は、川幅が「10間」の川であることに由来すしますが。以前は大横川の分流点より西を源森川(別名源兵衛堀)、東を北十間川といっていました。  (wikipedia・北十間川より)]

カメラ位置は源森橋(現 – 枕橋)南詰で、カメラ東方向・植え込みの中に橋の由来碑があります。

源森橋(枕橋)資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」[絵図右下に源森橋 枕橋トモ云が描かれ、源森橋の下・水戸殿(水戸徳川家下屋敷跡)の場所に小橋(小梅橋)が描かれています。]

「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」[絵図左上に源森橋 枕橋トモ云が描かれ。源森橋の上・水戸殿(水戸徳川家下屋敷跡)の場所に小橋(小梅橋)が描かれています。]

「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」[絵図右上に源兵エ橋が描かれ。源兵エ橋の下・水戸殿(水戸徳川家下屋敷跡)の場所に小橋(小梅橋)が描かれています。]

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