マーカーは長命寺桜もちです。
長命寺桜もち
[長命寺(ちょうめいじ)は、塩漬けの桜の葉を用いた、江戸に発祥した桜餅。東京隅田川の向島にはじめてこの桜餅が売られたという同名の寺がある。
初代山本新六が隅田川の土手の桜の葉を使って桜餅を考案した。享保二年(1717年)、江戸向島の長命寺の門前にて売り出したところ、付近の隅田堤に将軍徳川吉宗の台命による桜が植えられ花見客で賑わい、おかげで繁盛した。桜の落葉をみて桜餅を考案するに至ったという。
「近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやうに葛粉にて作るはしめハ粳米にて製りしがやがてかくかへたり」『嬉遊笑覧巻十上 飲食』
山本新六は下総国銚子より越し、元禄四年(1691年)より長命寺に居て、門番をした。桜餅長命寺が山本新六により作られて、のちに山本屋で作るようになる。
「去年甲申一年の仕入高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入れ、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一つに葉弐枚づつなり、此もち数〆卅八万七千五百、一つの価四銭宛、この代〆壱千五百五拾貫なり。」『兎園小説』
「江戸自慢三十六興 向島堤ノ花并ニさくら餅」元治元年(1864年)歌川豊国三代・歌川広重二代画
「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」正岡子規
正岡子規は一夏、長命寺桜もち山本やの二階で過ごし、この屋を月光楼と称した。 (wikipedia-「桜餅-長命寺、江戸風」より)]
[当店の桜もちは「長命寺桜もち」として、古来より皆様のご愛顧をいただいております。桜もちの由来は、当店の創業者山本新六が享保二年(一七一七年、大岡越前守忠相が町奉行になった年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めました。その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました。これが江戸に於ける桜もちの始まりでございます。 (「向島 長命寺桜もち」より)]
「国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」[絵図右端中央付近・古川下に長命寺及び名物サクラモチと描かれています。ただ、古川の位置は絵図に描かれている位置よりも北方向(銅像堀公園)にあり、長命寺桜もちは古川の南方向にありました。]
「長命寺桜もち 山本や – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向が長命寺桜もちです。