千早・地蔵堂

マーカーは千早・地蔵堂です。

千早・地蔵堂
[1714(正徳4)年の地蔵と、子育て地蔵が祀られている。道標をかねた舗石建立塔は、谷端川の湿地帯の舗道整備を記念して1801(寛政13)年建立された。1924(大正13)年の馬頭観世音、水洗い観音がある。
▲ 千早1-23-3  (「千川・要町・高松コース – 豊島区商店街連合会」より)]

[明治42年(1909年)の池袋界隈の地図がある。この地図にはこの年に山手線という名称に決まった池袋駅があるが、まだ武蔵野鉄道(後の西武池袋線)は存在しない。駅前には尋常師範学校(後の豊島師範、後の芸大)があり、それ以外は何も見当たらない。西の方には今は暗渠となった、大きくU字に蛇行した谷端川があり、谷端川付近を境目に長崎村となるが、そこには並木の金剛院(現在の椎名町駅そば)や地蔵堂(現在の千早町一丁目付近)などがある。
 西池袋付近をよく見るとそこには今の立教通りがあった。当然のことながら立教大学はまだ移転して来ていないが池袋の主要な道がこの立教通りだった。この道を西に辿って行くと地蔵堂にたどり着く。地蔵堂で左右の道に分かれ、ここの道しるべには右いたばし道、左ほりの内道、東ぞうしがや道とある。ほりの内とは杉並堀の内の妙法寺のことだそうだ。かつて「地蔵堂」の縁日は、長崎村でもっともにぎわいをみせていたそうだ。この昔の立教通りは池袋駅から地蔵堂へ行くために作られた道ではなく、道しるべによるとその昔、寛政13年(1801年)、上板橋村、長崎村の有力者が人馬を通り易くするため、地蔵堂から池袋付近まで共同で整備して出来た道だと言うことだ。
 地蔵堂の道しるべに書かれている”東ぞうしがや道”とは雑司ヶ谷のことだ。これは地蔵堂から雑司ヶ谷の法明寺鬼子母神への道が有るということだ。絵地図を見ていただきたい。地蔵堂から東、池袋駅方向に進み、谷端川に掛かる霜田橋を渡った所で右に入る道をくねくねと辿って行くと法明寺へとたどり着く道が発見できる。
当時の池袋界隈の観光スポットは雑司ヶ谷の鬼子母神、長崎村の地蔵堂、並木の金剛院である。  (「池袋の江戸時代からの古道 – コラム西池」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [29]貮拾貞(嘉永七年・1854年)」(コマ番号11/13・絵図四つ切左下、三角地に「地蔵」と描かれています。絵図は東方向が上になっていますので、右方向に金剛院が描かれています。絵図地蔵左の上方向の道を進むと、谷端川越えて二又になっています、右方向が雑司ヶ谷方面になります。)

出世子育地蔵大菩薩御堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が千早・地蔵堂です。

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