南蔵院

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マーカーは南蔵院です。

南蔵院
[真言宗豊山派の南蔵院は、大鏡山薬師寺南蔵院と号します。室町時代円成比丘(永和2年1376寂)の開山と伝えられ、もと大塚護国寺末、高田氷川神社の別当でした。御府内八十八ヶ所霊場29番、豊島八十八ヶ所霊場41番です。
●新編武蔵風土記稿による南蔵院の縁起
(下高田村)南蔵院
新義真言宗大塚護國寺末、大鏡山醫王寺と號す、開山圓成比丘と云、本尊薬師聖徳太子の作長三尺、或云此像は奥州秀衡の持佛たりしか、圓成比丘回國のをり夢の告ありて笈にうつして此高田の里に至るに、笈俄に重りて盤石の如し、此地有縁の地なればとて草堂をいとなみ安置すと云、其後大橋龍慶佛道歸依の餘りしばらく當寺に奇寓しければ、大猷院(徳川家光)殿此邊御遊獵の時しはしはならせられ、御殿など御造營ありしとなり、其頃中根壱岐守より龍慶に與へし書状あり、當寺へ御成の時四方へ出入せる門あり八ヶ所門と名付しと云、昔寺内に池あり鏡か池と呼しとなり、當時の山號も是より起れり、今寺内を流るる小溝を根川と云。(新編武蔵風土記稿より) 
●豊島区教育委員会掲示による南蔵院の縁起 
『真言宗豊山派に属し、大鏡山薬師寺南蔵院という。寺伝では、開山は室町時代の円成比丘(永和2年1376年寂)とされる。本尊の薬師如来は、木造の立像で、奥州藤原氏の持仏といわれ、円成比丘が諸国遊化のとき、彼の地の農家で入手し、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創であると伝えられる。正徳6年(1716)の「高田村絵図」(東京都公文書館蔵)には、境内部分に「薬師堂」・「南蔵院」の文字の他、山門、薬師堂と思われる建物、および樹木三本が描かれている。また、江戸時代の地誌にも紹介されており、「江戸名所図会」や「新編武蔵風土記稿」では、徳川三代将軍徳川家光がしばしば訪れたと記している。現在の境内には、元禄9年(1696)に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔六地蔵彰義隊九士の首塚などの石造物があるほか、墓地内には、相撲年寄である片男波粂川音羽山二子山花籠などの墓がある。また三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」にゆかりの寺でもある。(豊島区教育委員会掲示より)』  (「南蔵院|豊島区高田にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

[室町時代の創建。真言宗。境内には、この近くで死に絶えた上野彰義隊の隊士9人の首を埋めて葬られた首塚や、太田道灌の「山吹の里」の伝説を伝えた「山吹の里弁財天の供養碑」があります。奥の墓地は見学不可ですが、江戸時代の有名力士の墓があることでも有名です。三遊亭円朝が南蔵院旧本堂天井の龍の絵を見て創作した講談「怪談乳房榎」のゆかりの地としても有名。「死んだ絵師が、幽霊となって龍の絵の目を入れ完成させた」という言い伝えがありますが、現在、龍の絵は残念ながら残っていません。  (「豊島区の都電沿線めぐり|豊島区公式ホームページ」より)]

南蔵院資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図左端中央下に南蔵院が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・四つ切右下に「南蔵院」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [18]拾九利」(コマ番号5/7・地図中央上方向に南蔵院が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・高田南蔵院鶯梅宿氷川社右橋

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「高田南蔵院鶯梅宿氷川社右橋」(12-11)、「大鏡山南蔵院解説-1・左ページ5行目から」(12-10)、「大鏡山南蔵院解説-2・右ページ6行目まで」(12-12)

南蔵院 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が南蔵院山門です。

南蔵院本堂前のカメラです。

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