四面塔

マーカーは四面塔です。

四面塔
[今から約二百八十年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)高田雑司ケ谷板橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追いはぎや辻斬が出没し、夜はその難を逃れる為、通行する人が途絶えた。享保六年の夏、一晩で一七名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志六十四人が雑司ケ谷鬼子女神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊を供養した。正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には、南方高田雑司ケ谷道が記され、道標としても使われた。この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消された。
 明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲い、東武鉄道西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は区画整理を受けて塔は駅前に強制移動された。移動に関った作業員が相次いで事故死したため、毎年四面塔を秦じる祭が在ったが、太平洋戦争の勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まり、1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動された。丸物デパートの建設中事故が頻発した為、デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは潰れた。人々は「塔を動かしたから」と噂したという。  (「2016年3月 – 豊島新聞 ToshimaShinbun」より)]

[※四面塔の位置/当初建立されたのは西武百貨店とパルコの間辺り。高田雑司ケ谷と板橋を結ぶ街道と礫川(れきせん、こいしかわ)と長崎村を結ぶ街道とが交差する四ツ辻にあたる。付近は普段でも追い剥ぎや辻斬が出没する薄暗い雑木林だった。池袋駅に東上鉄道や武蔵野鉄道が開業するため駅前に移動、昭和31(1956)年 駅前開発のため池袋駅前公園内に移され現在に至る。  (「根津山の地図(戦前、被災前の池袋東側) – Com-Support」より)]

池袋四面塔稲荷大明神 – Google Map 画像リンク」、「池袋四面塔尊 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向左祠に四面塔稲荷大明神が祀られ、右の祠に四面塔尊が祀られ、四面塔尊右の祠に六地蔵が安置されています。

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