姿見橋(面影橋)

マーカーは姿見橋(面影橋)です。

姿見橋(面影橋)
[亮朝院の北側、神田川にかかる橋を面影橋という。付近一帯は、古くからいくつかの伝説を残している。
◎山吹の里伝説
 文明年間(1469~86)、太田道灌がこの付近に鷹狩りに来た時、急雨に降られて近くの農家で蓑を借りようとした。家の中から出てきた娘は、庭に咲く山吹の花を手折って道灌に捧げた。道灌はその意味が理解できずに帰り、近臣に事の次第を話したところ、そのうちの一人が、中務卿兼明親王
「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」
の歌を借りて、家に蓑がないから貸すことができないとの意を表したのだろうと話した。自分に歌心のないことを恥じた道灌は、その後、和歌の道に励んだという。この娘は紅皿といい、その墓と称される碑が区内東大久保の大聖院にある。
◎面影橋伝説
 戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。  (面影橋 – 新宿観光振興協会より)]

[面影橋は、高田と西早稲田を結ぶ、神田川にかかるこの橋の名前の由来には、悲しい物語が語り継がれています。美貌ゆえに次々と災難に遭うのを苦にして髪を切ったお戸姫が、変わり果てた姿を川面に映して身投げしたという切ないお話です。両岸に桜並木が続く桜の名所としても有名で、春には大勢の花見客で賑わいます。
山吹の里は、現在の高田1丁目周辺の俗称。明治の末までこのあたりは山吹の咲き乱れる野原でした。面影橋のたもとには、右手を頬にあてた観音像の石碑があります。「七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき」という歌でも知られている、太田道灌にまつわる故事が残っています。  (「豊島区ホームページ・古き坂道と寺社を巡る山吹の里コース」より)]

[蛍の名所として知られ、面影の橋とも言う。太田道灌の山吹の里説話の伝承地というがはっきりしない。歌川広重名所江戸百景』・ 高田姿見のはし俤の橋砂利場ファイル:100_views_edo_116.jpg]

(2) 2012-04-09 面影橋の桜 – 黙翁日録

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図」(絵図右上・清水殿の右上に姿見橋が描かれています。)、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図左下に姿見橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」[コマ番号2/6・絵図四つ切右下、神田上水に描かれる橋が姿見橋(面影橋)です。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [18]拾九利」(コマ番号2/7・地図中央下に面影橋が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・姿見橋山吹の里

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「山吹の里」(12-6)、「山吹の井」(12-7)、「山吹の里解説・右ページ左から5行目より」(12-5)、「姿見橋」(12-9)、「姿見橋解説・右ページ左から3行目より」(12-10)

山吹の里の碑 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は姿見橋(面影橋)北詰で、カメラ北東方向に山吹の里の碑があります。

面影橋の桜

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