旧江戸川乱歩邸(立教大学大衆文化研究センター)

マーカーは旧江戸川乱歩邸です。

旧江戸川乱歩邸(立教大学大衆文化研究センター)
[江戸川乱歩記念大衆文化研究センターは2006年、江戸川乱歩の旧蔵書や資料を核とし、日本内外の大衆文化研究の拠点となるべく、設立された研究機関です。乱歩関連資料の整理・保存、建造物を含む乱歩関連資料の公開を中心として、研究雑誌『大衆文化』『センター通信』の発行、乱歩邸における展示、公開講演会などのプログラムによって、幅広い大衆文化研究の成果の公開および社会還元を行っています。旧江戸川乱歩邸は、毎週水・金曜と臨時公開日に見学が可能です。土蔵は、2003年に豊島区指定有形文化財に指定されています。
江戸川乱歩邸について
「東京市ニ於ケル住居転々ノ図」(「貼雑年譜」)によれば、転居を繰り返した東京での乱歩の住まいは26ヶ所に及ぶ。そしてその26番目の住まいが、昭和7年に郡から区に昇格したばかりの豊島区池袋3丁目1626番地の家賃90円の土蔵付きの借家だったのである。
昭和9年7月に乱歩はここに居を定めた。すぐ近くには立教大学や系列の聖公会神学院があり、これが乱歩と立教大学との不思議な縁の始まりとなった。以後乱歩は、途中転居を考えたこともあったが、結局は昭和40年の没年までこの地で後半生を過ごした。そしてさらにそれから40年近くの歳月が流れ、2002年に旧乱歩邸と蔵書・資料が立教大学に帰属することとなったのである。
乱歩がなぜ池袋を選び、なぜ二度と転居しなかったかはいろいろ考えられるが、その前に居た芝区車町の喧騒な環境と比較して、転居当時の乱歩邸は「梅林」「ツツジ」「畑」「芝」「築山」などに囲まれ、今とはおよそかけ離れたのどかさであったと想像される。そんな自然の豊かさが、中心部のごみごみとした雰囲気に愛想をつかした乱歩を惹きつけたのかもしれない。
さらに戦時下には近隣の人々との信頼関係も生まれ、戦後は戦後で、今度は復興した池袋の繁華街が乱歩にとってホームグラウンドのような場所となる。
2003年3月に乱歩邸の土蔵は豊島区指定有形文化財に指定された。乱歩邸は最初大阪市東区の坂輔男家の別宅として建てられ、その後借家となり、昭和9年からは乱歩が住み、昭和27年に乱歩の所有となった。さらにそれが立教大学の所有となったのは2002年3月であり、その後立教大学では豊島区より補助を受け2003年度より土蔵の復原工事に着手し、2004年春に完成させた。2004年8月の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」以来、機会を設けて土蔵は公開しているが、内部や蔵書類の状態を良好に保つために、入り口付近までの公開としている。
ところで乱歩蔵書は主に①土蔵内部②土蔵の外側の軒下部分を書庫に改造したもの③母屋・洋館部分、の三つに分けて保存されてきたが、土蔵の復原工事にともない軒下部分の書庫は撤去され、現在は主に土蔵内部、母屋内の書庫、立教大学図書館の保存書庫に分散保管されている。それらの所蔵内容は立教大学図書館のホームページ上で確認でき、その冊数は和書(翻訳書を含む)約13000冊、洋書2600冊、雑誌5500冊ほどである。また一般には未公開だが、950点、3500冊ほどの和本も別にある。作家蔵書といえば収書傾向や書き込み調査が定番だが、乱歩の場合、書庫ごと保存されるがゆえにわかる配置(没後の変更や追加を慎重に見きわめた上で)や使用頻度、利用上の特徴など、一種の書庫考古学/蔵書解体学が今後必要になってくるだろう。  (「大衆文化研究センター(旧江戸川乱歩邸) | 立教大学」より)]

カメラ西北西方向が旧江戸川乱歩邸です。

カメラ位置は旧江戸川乱歩邸中庭で、カメラ北北西方向が豊島区指定有形文化財に指定された土蔵です。