マーカーは本納寺です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
本納寺
[本納寺は、法明寺22世実蔵院日相(延宝6年1678年寂)が慶安3年(1650)に創建したといいます。
●「豊島の寺院」による本納寺の縁起
(雑司ヶ谷村)本納寺
法明寺末、下二ヶ寺同じ、妙永山と號す、本尊三寶祖師及び三光天子九老僧の像を置、開山實蔵院日相延寶六年五月二日寂。
三十番神堂。元禄九年九月二世日程建立す。(「豊島の寺院」より)
●「豊島の寺院」による本納寺の縁起
慶安3年(1650)、威光山法明寺22世実蔵院日相聖人によって草創。大正12年9月1日の関東大震災により大破、改築。また、明治41年、白山浄心寺墓地及び大塚仲町本伝寺墓地の一部を改葬移転して現在の墓地地域をなす。(「豊島の寺院」より) (「本納寺|豊島区雑司ヶ谷にある日蓮宗寺院 – 猫の足あと」より)]
雑司が谷の鎌倉街道
[鎌倉から台東区上野忍岡を通り奥州などへ通じる鎌倉街道を「下の道」と言います。途中大田区池上で分かれ目黒・千駄ヶ谷・旧高田馬場・面影橋・宿坂のやや東を抜け鬼子母神大門東裏通り(今はない)・本納寺前、弦巻通りを横切って蓮成寺(明治二十八年移転)と百姓忠左衛門の家(江戸地図)との間の坂を登る道(現東京音大構内)も鎌倉街道と呼ばれていた。
迂回して東通りへ出る。日出小学校(現豊島区役所・Google Maps)西門前の道をたどる。この道は鎌倉街道のなごりの道だ。
街道はサンシャイ60の西南角をかすめアムラックス(Google Maps)裏の路地を抜けて春日通りを渡り、時習小学校まで一直線に進むが、今は迂回が必要だ。時習小の先にJRの線路を跨ぐ宮仲橋(Google Maps)がある。以前ここが踏切りだった頃は「第一鎌倉踏切」と言った。
(「第48号 – 雑司が谷のまちづくり」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図左上・鬼子母神下の本能寺が本納寺と思われます。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・絵図下中央付近「鬼子母神」上に本納寺が描かれ、法明寺上に後年移転する蓮成寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [27]貮拾利」(コマ番号4/7・地図中央右下方向に法明寺、その左に後年移転する蓮成寺、蓮成寺上に本納寺が描かれています。)
カメラ位置は旧鎌倉街道で、カメラ南南東方向が本納寺山門です。
本納寺本堂前のカメラです。