マーカーは薬罐坂上です。
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[【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、明治維新後上地され国の所有となった。現在の筑波大学付属盲学校一帯にあたる。また、西側には広い矢場があった。当時は大名屋敷と矢場に挟まれた淋しい所であったと思われる。やかん坂のやかんとは、野カンとも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。夜寒坂のおこりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。この坂を挟んで、東西に大町桂月(1869~1925、評論家、随筆家)と、窪田空穂(1877~1967、歌人、国文学者)が住んでいた。
この道を行きつつみやる谷こえて
蒼くけぶる護国寺の屋根 (窪田空穂) (「文京区の坂(12) ~ 目白台方面」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図中央上に青山百人組深地が後に松平出羽守屋敷地になります。左に矢場が描かれています。その間の道が薬罐坂になります。)
「国際日本文化研究センター – 嘉永新鐫雜司ケ谷音羽繪圖(安政4・1857年)」(絵図中央上に松平出羽守(松平定安)下屋敷が描かれ、そこの左に矢場が描かれています。その間の道が薬罐坂になります。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・護国寺下に松平出羽守下屋敷地、その左に百人組地、その左に矢場が描かれ、百人組と矢場の間の道に坂が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [27]貮拾利(嘉永七年・1854年)」(コマ番号3/7・右下、百人組同心大繩地右に薬罐坂が描かれています。)
薬罐坂上・カメラ北方向が薬罐坂です。
薬罐坂の案内板
薬罐坂下・カメラ南方向が薬罐坂です。