高田氷川神社

マーカーは高田氷川神社です。

高田氷川神社
[高田氷川神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には下高田村の鎮守、氷川大明神として崇敬を集めていました。また、主神が素盞嗚命であることから、奇稲田姫命を主神とする下落合氷川神社と対にして夫婦の宮のうちの「男体の宮」とも呼ばれていました。
●新編武蔵風土記稿による高田氷川神社の由緒
(下高田村)氷川社
村ノ鎮守ナり。南蔵院持。在原業平ヲ祀ルト云。
神楽堂。
末社。稲荷、第六天。(新編武蔵風土記稿下高田村項より)
●豊島区教育委員会掲示による高田氷川神社の由緒
氷川神社の創建は、武蔵国一宮の氷川神社を当地に分霊したことに始まるといわれる。祭神は、素盞嗚命・奇稲田姫命・大巳貴命(大国主命)の三柱で、平安時代の歌人、在原業平六歌仙の一人)も参拝したと伝えられる。「江戸名所図会」(天保5・1834年刊)などの地誌によれば、当神社は、江戸時代には氷川大明神と呼ばれ、下高田村(豊島区高田・雑司ヶ谷・目白・文京区目白台)の総鎮守として信仰を集めていた。また、当神社の主神が素盞嗚命であることから、俗に「男体の宮」といわれ、奇稲田姫命を主神とする落合村(新宿区下落合)の下落合氷川神社の「女体の宮」と合わせて、「夫婦の宮」と呼ばれていたという。明治時代には氷川神社と改称し、第二次世界大戦中には、昭和20年4月13日の空襲により、境内の建物と宝物の大半が焼失した。現在の社殿は昭和29年に再建されたもので、境内には神明神社・高田姫稲荷神社・道祖神社も祀られている。毎年正月には、弓矢で的を射って災難除けを祈願する「御奉射祭(おびしゃさい)」が江戸時代より行われ、現在は成人の日に執行している。なお、寛政2年(1790)に鳥羽藩主稲垣対馬守が寄進した鳥居・狛犬(文化4・1807年奉納)、石燈籠(明治11・1878年奉納)、玉垣が、平成3年(1991)に豊島区登録文化財となった。  (豊島区教育委員会掲示より)  (「高田氷川神社|豊島区高田の神社、下高田村の鎮守、男体の宮、御奉射祭 猫のあしあと」より]

[旧高田村の鎮守。平安時代に大宮に鎮座した氷川神社の分霊をこの地に鎮祭。在原業平も参拝したと伝えられています。成人の日には、鬼と書かれた的に弓を射る御奉射祭(おびしゃさい)が行われています。  (「豊島区の都電沿線めぐり|豊島区公式ホームページ」より)]

高田氷川神社ホームページ

高田氷川神社資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図左下に高田氷川神社が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・四つ切右下「南蔵院」下に「氷川明神」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号4/13・地図中央右よりに氷川社地が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「高田南蔵院鶯梅宿氷川社右橋」(12-11)、「氷川神社右橋解説・右ページ7行目から」(12-12)
高田南蔵院鶯梅宿氷川社右橋(拡大図)

高田氷川神社 – Google Map 画像リンク」、「高田姫稲荷神社 – Google Map 画像リンク」、「神明神社 – Google Map 画像リンク」、「道祖神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向が高田氷川神社参道です。

高田氷川神社拝殿前のカメラです。

境内社・高田姫稲荷神社前のカメラです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*