池袋西口公園(東京府豊島師範学校発祥之地・池袋の闇市)

マーカーは西口公園前交差点です。

Goo 地図 – 昭和22年写真」[赤のマークが復興商店街で、その下のコの字型の建物が豊島師範学校附属小学校で、それらを含む一画が東京府豊島師範学校敷地でした。]

[1909(明治42)年、池袋に「東京府豊島師範学校」が開校した。しかし、1945(昭和20)年4月、空襲により「附属小学校」の校舎を残して全焼、1946(昭和21)年に小金井に移転した(東京学芸大学)。
1964(昭和39)年に「附属小学校」が閉校。一帯は1970(昭和45)年に「池袋西口公園」となり、1990(平成2)年に「東京芸術劇場」が開館した。  (「3:「豊島師範学校」と私学の興隆 ~ 池袋 | このまちアーカイブス | 不動産 …」より)]

[西池袋は元々、中小規模の商店や飲食店の多い商店街が広がっていたが、戦後、旧豊島師範学校跡に西口マーケットと呼ばれた闇市が形成され長らく残ったため、東口に比べて開発が遅れた。
1960年代に闇市の撤去および区画整理が行われたものの、開発はなかなか進まなかった。
1980年代に入り、区画整理後の区画に残った旧鉄道教習所跡にホテルメトロポリタンが建設されたのを皮切りに、旧豊島師範学校跡に東京芸術劇場が、芝浦工大高校跡にメトロポリタンプラザが建設されるなど、ようやく町並みが変わり始めた。
西池袋から椎名町駅にかけての一帯は池袋モンパルナスとして昭和初期の戦間期に若い芸術家がアトリエを多く構えていた。戦時中においてはそうした芸術が不適切なものとみなされ、多くの芸術家が太平洋戦争で戦死したこともあって芸術運動は一旦終結した。戦後、再評価がなされるとともに、新たに前衛的な作品が産み出された。
池袋駅の付近にはこうしたモダニズムの残景はすでにみられないが、郊外の山手通りに向かって平屋のアトリエ跡が残っている。  (wikipedia・西池袋より)]

[池袋駅近傍に発生した闇市を起源とするマーケットの特徴は、大規模なものが東口では交通疎開空地に、西口では豊島師範学校の焼跡に発生したことである。交通疎開空地とは、戦中期に主要な駅周辺に防空のために、延焼の恐れがある木造の建物を取り壊してつくられた駅前広場のような空地である。交通疎開空地も豊島師範学校もともに公有地であり、建設時には土地一時的な使用が認められ、不法占拠ではなく合法的にマーケットが建設された。東口の交通疎開空地には東京露店商同業組合の池袋支部長である森田信一が森田組東口マーケットを建設し、西口の豊島師範学校の焼跡は文部省と借地契約を結んだ複数の主体が復興商店街、仁栄マーケット(華僑系のマーケット)、永安公司、上原組マーケットなどのマーケットを建設し、西口の豊島師範学校の焼跡は文部省と借地契約を結んだ複数の主体が復興商店街、仁栄マーケット(華僑系のマーケット)、永安公司、上原組マーケットなどのマーケットを建設した。このほか、私有地にも小規模のマーケットが建設されたが、いずれも合法的な土地占有であると推察された。しかし、2年間の借地契約が交わされて貸し出された豊島師範学校の焼け跡は、契約期間終了後もマーケットが占拠し続けたため、不法占拠として扱われることとなった。
池袋駅近傍の戦災復興過程では、東口の区画整理が極めて早期(1949〜1951年頃)に進んでおり、都内でもっともスムーズに進んだ場所のひとつである。一方の西口では、豊島師範学校の土地に発生したマーケットの移転地がなく、区画整理が一向に進まず、最もマーケットの整理が遅かったところでは終戦から17年を要した(1960年前後に整理が行われた)。また、区画整理後に都有地の払下げが行われたが地価が高く、ほとんどの営業者は転出していったため、地主になっていったマーケット営業者は少なかった。唯一組合で土地を取得し、共同ビルを建設したのが仁栄マーケット(華僑系のマーケット)の人々である。これが現在の池袋西口センタービルである。

  (「池袋の闇市 | blog_CHINABLOG | 東京修学旅行プロジェクト」より)]

池袋西口公園
[開園は1970年(昭和45年)。1908年(明治41年)設立の豊島師範学校の跡地につくられた。戦争後この地には闇市ができ、その後も長い間市場として使われていた。公園の建設と共に市場は撤去され、公園というよりも、広い空き地のような状態が続いていた。夜は薄暗く、決して雰囲気は良くなかった。
豊島区や地元商工関係者は、豊島師範学校跡地周辺の開発整備とイメージ一新を企図。その計画の一環として、1985年、附近にホテルメトロポリタンが完成した。1990年には東京芸術劇場もオープン。これに合わせて公園は、劇場の前庭公園として再整備された。池袋駅西口行きの国際興業バス関東バスは公園北側に発着する。以前は池袋駅北口行きもあったが変更され統一された。
2002年9月には、音楽の演奏会などで利用可能な野外ステージも併設された。幅11.8メートル、奥行き5.4メートルのステージ。これは、地元の立教大学卒業生と、池袋西口商店街連合会の働きかけにより、区内の商工団体などで構成された『元気な豊島をつくる会』によって建設され、区に寄贈されたもの。2004年3月には同会によって開閉式ルーフも寄贈され、雨天でも催しを行うことが可能になった。
2019年秋をめどに、芸術活動の拠点となる野外劇場として再開発されることになった。  (wikipedia・池袋西口公園より)]

池袋西口公園 – Google Map 画像リンク」、「東京芸術劇場 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は池袋西口公園で、カメラ北西方向に「東京府豊島師範学校 同 附属小学校 発祥之地碑」があり、手前左に、竹内不忘作「平和の像」(1990年)があります。また、カメラ西方向が東京芸術劇場です。

カメラ位置は西口五差路交差点で、カメラ南方向が池袋西口センタービルで、劇場通りは、昭和21年4月25日・戦災復興院告示第15号補助73号線として計画決定し、完成率が50%前後の道路で、豊島区立郷土資料館前で中断しています。戦後は終わっていない。