葛谷御霊神社

マーカーは葛谷御霊神社です。

葛谷御霊神社
[葛谷御霊神社は、平安時代前九年の役の帰途、京都の桂(葛)の里の一族が当地に住み着き、当地付近を葛ヶ谷と呼ぶようになり、その際に八幡社勧請されたと伝えられます。江戸時代には葛ヶ谷村の鎮守でした。当社で行われる備謝祭は中世末から行われており、現在も毎年1月13日に行われています。
『旧葛ヶ谷村の鎮守で、祭神は仲哀天皇神功皇后応神天皇武内宿彌の4柱である。社伝によると、平安時代の前9年の役で、源義家安倍頼時討伐に行く際、京都の桂(葛)の里の一族が義家に従い、常に氏神の八幡宮に勝利を祈り、無事頼時を征伐した。京への帰途この一族は、地形・風土の似た落合のあたりにとどまった。このため、かつてこのあたりを葛ヶ谷と呼んだ。その際勧請した八幡が葛谷御霊神社となったという。当社にも中井御霊神社の項で紹介した備謝祭が伝わっている。備射祭は歩射、奉射などとも書く正月の弓神事で、当社では備謝の字をあてている。江戸時代には各地でさかんに六郷神社行われていたが、現在、東京23区内では新宿区のニヶ所(葛谷御霊神社と中井御霊神社)と大田区東六郷の六郷神社のわずか3ヶ所に伝わっているにすぎない。(新宿区の文化財より)』  (「猫のあしあと – 葛谷御霊神社」より)]

[旧葛ヶ谷村の鎮守『葛谷御霊神社』は、社伝によると、平安時代に源義家安倍頼時征伐に行く際、京都の柱(葛)の里の一族がこれに従い、氏神八幡宮に勝利を祈って、無事頼時を征伐したといいます。京への帰途、一族は落合のあたりにとどまり、その際勧請した八幡が『葛谷御霊神社』となったといわれています。明治の頃には「備謝祭(新宿区指定文化財)」の当日に村の若者が力石を持ち上げて、力を競い合いました。現在この行事は行われなくなりましたが、このときの『力石』(新宿区指定文化財)は、神楽殿横の耕地整理記念碑の周辺に5個(計6個)集められて残っています。力石は、自然石で奉納の文字と目方が刻まれています。  (「葛谷御霊神社 力石 | 一般社団法人新宿観光振興協会」より)]

葛谷御霊神社|御備謝祭(おびしゃ)まつり、新宿区西落合の神社 – 猫の足あと

葛谷御霊神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が葛谷御霊神社参道です。

葛谷御霊神社拝殿前のカメラです。

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