金乗院慈眼寺

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マーカーは金乗院慈眼寺です。

金乗院慈眼寺
[金乗院(こんじょういん)は、東京都豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院である。山号は神霊山。江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っていることで知られている。
当寺院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。永順は1594年に没しているのでそれ以前の天正年間の頃(1573年~1592年)の創建ではないかと推定されている。当初は中野にある宝仙寺末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。江戸時代までは近隣の木之花開耶姫社の別当寺なども務めていたが、第二次世界大戦による戦災で本堂徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額などが焼失。現在の本堂は昭和46年(1971年)に再建されたものである。また目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあったものであった。
新長谷寺と目白不動尊
新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師出羽湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で、それが武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれているがその詳しい年代はわかっていない。その後、この寺院は江戸時代に入り元和4年(1618年)に奈良長谷寺の僧・秀算によって中興された。秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。寛永年間に三代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになったという。また一帯の高台も目白台と呼ばれるようになった。(これは現在の地名になっている目白や目白台の起源になっている)その後、この寺院は五代将軍・徳川綱吉桂昌院帰依を受けて発展した。また江戸市民に時を告げる時の鐘を備えていた。しかし、新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。
本堂・wikipedia-photo、不動堂(目白不動尊)・wikipedia-photo、「文京区関口・かつての新長谷寺付近。(写真左方向)現在ではマンションになっている。この通りは「目白坂」と呼ばれ、古来より練馬方面から江戸へ向かう際の通り道として知られていた。」・wikipedia-photo  (wikipedia・金乗院_(豊島区)より)]

[16世紀の創立。目白の地名の由来でもある、目白不動尊は、江戸五色不動のひとつ。文京区関口の寺の焼失により戦後、この寺に移転され安置されました。本尊は金銅仏の聖観世音菩薩。また、倶利伽羅不動など7基の庚申塔をはじめ、儒者・青柳文蔵の墓や由井正雪らと江戸幕府転覆を謀り鈴が森で処刑された丸橋忠弥の墓などがあります。目の色が黒白赤黄青の五色不動の起こりは、八代将軍徳川吉宗が、江戸庶民の娯楽として5か所に不動堂を建てたと伝えられています。  (「豊島区の都電沿線めぐり|豊島区公式ホームページ」より)]

金乗院|豊島区高田にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと

金乗院資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図左端中央付近に金乗院が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・四つ切右下に「金乗院」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号4/13・地図中央付近に金乗院が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・宿坂旧址金乗院観音堂

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「宿坂関旧址金乗院観音堂」(12-12)、「宿坂関旧址、木花開耶姫社解説・左ページ4行目から」(12-13)

慈眼寺(金乗院) – Google Map 画像リンク」、「目白不動尊 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が金乗院慈眼寺山門です。

目白不動尊堂前のカメラです。

金乗院慈眼寺本堂前のカメラです。

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