マーカーは霊雲院跡付近です。
霊雲院跡
[霊雲院(れいうんいん)は曹洞宗で龍穏寺(りゅうおんじ・埼玉県入間郡越生町)の末寺であり、天王山福源寺と称しました。開山は放光東明(ほうこうとうめい)和尚〔寛政4年(1792)没〕です。
東明は、幼少の頃から才智人に優れ、長ずるにしたがってその名は全国に知られるようになり、8代将軍吉宗の耳に入り、城中に招かれました。さらに東明は宝暦8年(1758)、下総国(千葉県)にあった嶺雲院を深川に移し、「嶺」を「霊」と改めて霊雲院の開山となり、翌9年に朱印地200石を賜りました。『江戸名所図会』によれば天保の頃には俗に「深川の新寺」と呼ばれていたといいます。霊雲院の桜は、葛飾北斎の「絵本隅田川両岸一覧」に「市中の花」として描かれるほど有名でした。
戦後、東村山市へ移転しました。 (「霊雲院跡 – 江東区」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図左端中央・小名木川(萬年橋)下方向に霊雲院が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「深川霊雲院」(18-23)、「天王山霊雲院解説・左ページ左端」(18-23)
深川霊雲院(拡大図)
「東京都立中央図書館 – 隅田川両岸一覧図絵 上」より。
新大橋東岸

[図会を右端までスクロールすると、新大橋の左に万年橋が描かれ、その右側方向に霊雲院が描かれています。]
市中の花 新寺の新樹(拡大画像リンク)(この画は国立国会図書館の版にはなく、「葛飾北斎『 絵本隅田川両岸一覧 』 – みんなの知識 ちょっと」より画像をコピーしています。)
[新大橋旧橋の西詰めから霊雲院方向(江東区清澄1-4方向)を描いています。]
[葛飾北斎が描いた『絵本隅田川両岸一覧』(文化3年・1806刊行)という画本の中に、「市中の花・新寺の新樹」と題された1点があります。桜が満開に咲いた隅田川の西岸から対岸の深川を眺めて描かれたこの絵は、その表題の通り、新寺と呼ばれた霊雲院を深川の中心としてみています。 (「深川寺町の形成と文化財東区深川江戸資料館 – 江東区文化」より)]