出羽松山藩酒井家千駄ヶ谷下屋敷跡

マーカーは出羽松山藩酒井家下屋敷跡です。

関連リンク – 出羽松山藩酒井家上屋敷跡出羽松山藩酒井家本所下屋敷跡

酒井忠方
[酒井 忠方(さかい ただみち)は、出羽松山藩6代藩主。左衛門尉酒井家分家6代。官位 従四位下、石見守
文化5年(1808年)、5代藩主・忠禮の長男として生まれる。文政4年(1821年)、父の死去により家督を継ぐ。藩財政再建のために、桑や漆などの生産を奨励し、倹約を行なうなどして藩政改革に努めたが、天保の飢饉で大被害を受けて、本家の庄内藩から借金をするという有様であった。しかし窮民の援助では尽力している。弘化2年(1845年)10月20日、家督を長男の忠良に譲って隠居する。  (wikipedia・酒井忠方より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 下渋谷千駄ヶ谷内藤新宿牛込. [2]」(コマ番号6/4・四つ切左上、千駄ヶ谷八幡下方向に酒井石見守屋敷地が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図(文久二年・1862年)」(絵図中央左・千駄ヶ谷八幡宮右に酒井大學頭(酒井忠良)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 千駄ヶ谷其外村々諸屋敷色分図. [3]」(コマ番号16/52・絵図右端に松嶺藩(出羽松山藩)知事(酒井忠匡)買添屋敷地が描かれています。)

カメラ位置は渋谷区千駄ケ谷1丁目3-22地先前で、カメラ南南西方向小路両サイドが出羽松山藩酒井家下屋敷跡になると思います。