足利藩戸田家下屋敷跡

マーカーは足利藩戸田家下屋敷跡です。

関連リンク – 足利藩戸田家上屋敷跡

戸田忠行
[弘化4年(1847年)10月2日、足利藩第6代藩主・戸田忠禄の四男として生まれる。父は忠行が生まれる前の9月20日に死去したため、戸田家の家督は父の婿養子であった忠文が継いだ。安政3年(1856年)に忠文が死去したため、忠行はその養子となって家督を継ぐ。文久2年(1862年)12月16日に従五位下・長門守に叙位・任官する。
文久3年(1863年)6月から職制改革などを主とした藩政改革を行なう。慶応3年(1867年)10月に陸軍奉行並に任じられた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では幕府・新政府の双方に対して曖昧な態度を取ったが、最終的に新政府に恭順した。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により足利知藩事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。
その後は東京へ移り、神田表の神保町に住んだ。  (wikipedia・戸田忠行より)]

[「渋谷区立図書館-渋谷区史年表」に、
●宝永3年(1706) – 穏田に足利藩主戸田家下屋敷ができる。
と記述されています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – [分]間江戸大繪圖[享保(1716年–1736年)年間]」(コマ番号3/6・絵図上中央に戸田屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図四つ切左上・戸田長門守(戸田忠文)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 千駄ヶ谷其外村々諸屋敷色分図. [3]」(コマ番号4/52・絵図右に足利藩邸が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京府豊多摩郡内藤新宿町千駄ケ谷町 (出版年-1911.7)」(地図中央下・字南原宿の下半分と字赤羽根の左部分が足利藩戸田家下屋敷跡と思われます。)

カメラ位置は天理教 東中央大教会前で、カメラ位置付近が足利藩戸田家下屋敷跡の中心部にあたると思います。