小川町錦小路(神田上水樋管)

マーカーの位置は小川町錦小路です。

小川町錦小路
[江戸時代のこの界隈(かいわい)は、武家屋敷が軒(のき)を連ねる地域でした。「天下のご意見番」として講談や時代劇にたびたび登場する大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)も、寛永(かんえい)(1624年~1644年)のころ、このあたりに住んでいたと伝わっています。
錦町(にしきちょう)の名前は、「錦小路(にしきこうじ)」と呼ばれていた通りに由来します。近くに一色(いっしき)という旗本(はたもと)の家が二軒あっため二色(にしき)となり、いつのまにか「二色」が「錦」と置きかわり、「錦小路」になったということです。
しかし、由来については諸説があります。この近くにあった護持院(ごじいん)に、錦のように美しい虫を祀った(まつった)弁財天堂(べんざいてんどう)が建っていたためという説、さらに住人が京都にある錦小路にあやかりたいと考え、錦という呼び名を付けたという説もありますが、本当のところははっきりしていません。  (「千代田区ホームページ – 町名由来板:神田錦町三丁目(かんだにしきちょさんちょうめ)(錦町三丁目第一町会)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」(絵図左上・稲葉長門守上屋敷から曲木仙之助御用屋敷、本多伊予守上屋敷までが小川町錦小路です。)

神田上水樋管
神田上水留. [7] 神田上水小川町錦小路石垣樋裏余垂板仕付仮養御修復一件 天保十三寅年正月より三月 御普請方」(16,17,46,47/103・小川町錦小路に神田上水樋管が描かれています。)
神田上水留. [8] 神田上水小川町錦小路石垣樋場所替御修復一件 天保十五辰年十月より弘化ニ巳年七月迄 御普請方 分冊ノ一」(33~35/82・小川町錦小路に神田上水樋管が描かれています。)
神田上水留. [9] 神田上水小川町錦小路石垣樋場所替御修復一件 天保十五辰年十月より弘化ニ巳年七月迄 御普請方 分冊ノ二」(53~55/71・小川町錦小路に神田上水樋管が描かれています。)
神田上水留. [10] 神田上水小川町錦小路石垣樋場所替御修復一件 天保十五辰年十月より弘化ニ巳年七月迄 御普請方 分冊ノ三」(37~43/105・小川町錦小路に神田上水樋管が描かれています。)

カメラ南方向が小川町錦小路になります。

カメラ北方向が小川町錦小路になります。