撃剣館跡

マーカーはカメラ位置です。

撃剣館跡
[永倉新八が子供のころから修行していたという神道無念流・撃剣館の跡。18歳で本目録を取得したとのこと(その後別の道場へ) 新見錦もここでにいたという話も…?
岡田十松はこの流派一の剣豪と言われていたそうでこの道場からは多くの人材を輩出、後に錬兵館を開いた斎藤弥九郎伊豆国韮山代官江川太郎左衛門(英龍)らもここの出身
先日の斎藤一ツアーでもここに連れてきていただきましたが、再び写真を撮りに行って来ました。敷地は幅がおそらくこの駐車場と右隣のビルにかかったくらい?、奥行きはビルを付きぬけてもう少し奥くらいまでかと思われ、他と較べると比較的小ぶりな道場だったのでは、という印象…?
位置的には玄武館と錬兵館のちょうど真中付近になります
嘉永3年(1850年)の切絵図には見えませんが(それだと永倉はここに移ってくる前から所属? 三味線掘の松前藩江戸屋敷からはかなり距離があるし)、文久3年(1863年)版では確認できます(明治6年にはもうここから消滅していたようです)  (「新撰組!のおと – 撃剣館(岡田十松道場)探訪 」より)]

岡田吉利
[岡田 吉利(おかだ よしとし、明和2年(1765年) – 文政3年8月15日(1820年9月21日))は、日本の剣客。神道無念流・撃剣館主。通称は十松。子に岡田吉貞、岡田利章。
武蔵国埼玉郡砂山村の農民、岡田又十郎の次男として生まれ、15歳で志多見の松村源六郎に師事し頭角を現した。江戸に移り、麹町の戸賀崎暉芳に入門すると、22歳には印可され武者修行で剣名を上げた。
1783年、牛込行元寺で大橋富吉の親の仇討ちに吉利は戸賀崎門弟として加勢した。1795年、師の道場を継いだが、門弟が増え、神田に移り撃剣館を開いた。門人は藤田東湖江川英龍豊田天功、鈴木重明や斎藤善道秋山要助、宮本佐一郎、永井軍太郎、金子健四郎、佐藤万四郎がいる。吉利以後は、子・岡田吉貞が継いだ。  (wikipedia・岡田吉利より)]

カメラ東方向が撃剣館跡です。

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