木下順庵屋敷跡

マーカーカメラ位置です。

木下順庵
[元和7年(1621年)、誕生。京都錦小路の出身。儒学藤原惺窩の弟子松永尺五に学び、一時江戸に出たこともあるが、帰洛後、加賀国金沢藩前田利常に仕えた。天和2年(1682年)、江戸幕府の儒官となり、5代将軍徳川綱吉の侍講をつとめた。その間、『武徳大成記』をはじめとした幕府の編纂事業にたずさわり、林鳳岡や林門の儒家たちとも交流している。朱子学に基本を置くが、古学にも傾倒した。教育者としても知られ、木門十哲と呼ばれる優れた人材を輩出した。元禄6年(1693年)に徳川綱豊(後の徳川家宣)の使者高力忠弘が、甲府徳川家のお抱え儒学者を探しに来た際、順庵は門人の新井白石を推薦した。元禄11年(1698年)、江戸で死去。  (wikipedia・木下順庵より)]

国立国会図書館デジタル資料 – 寛永十三年江戸大絵図元禄16(1703)年」の「2」・キジハシ右下側3路目角に、木下シュンアンと記述されている。

国立国会図書館デジタル資料 – 元禄江戸大絵図宝永4(1707)年」の「2」・キジハシ右下側3路目角に、木下順アンと記述されている。

元禄江戸大絵図によると、木下順庵の屋敷は、カメラ北北東方向角付近にあったようです。

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