江戸幕府御用人の井関家

マーカーはカメラ位置です。

江戸幕府御用人の井関家
[九段下角の「りそな銀行」のところには、江戸幕府御用人の井関家があり、その奥方・井関隆子が当時の武家生活を日記に残しています。 興味深いことは、徳川家の日光詣の際には入念に予行演習に狩り出されたこと、高齢者といえども同行義務があり、このため葬儀道具も行列に続いたこと等、記されています。井関家の九段の土地は350坪、大京町の実家は450坪の広さです。隣家のクルミの木が邪魔なので伐るように催促する時、歌を一首送ってすぐ解決したと書かれています。又、息子が幕府の命で京都へ旅立つ時、九段坂を供等と共に行く後姿を見ていたとあります。   (「千代田区観光協会 – 第73回  九段下界隈 その2 」より)]

井関隆子
[井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 – 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人、日記作者、物語作者。
幕臣大番組・庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったりしたという。  (wikipedia・井関隆子より)]

井関家資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」(絵図右上方向・俎板橋の右上方向に井関縫殿正と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 1号」(コマ番号3/6・中央下左方向、九段坂下に「井関信太?」と描かれています。)

カメラ東南東方向が江戸幕府御用人の井関家跡に建つりそな銀行です。

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