足利藩戸田家上屋敷跡

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足利藩戸田家
[足利藩(あしかがはん)は、下野足利郡足利に存在した藩。藩庁は足利陣屋栃木県足利市雪輪町)。
戦国時代足利将軍家の故地足利荘関東管領上杉氏の代官として足利長尾氏が治め、上杉氏が後北条氏に追われた後には後北条氏の支配下に入っていたが、後北条氏に仕えていた長尾顕長小田原征伐で没落した。
江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の異父弟にあたる本庄宗資(はじめは公家の家臣だった)が徳川将軍家との特別な関係のために加増が繰り返され、元禄元年(1688年)には足利1万石を領するようになり、足利藩を立藩した。宗資にはその後も贔屓の加増が繰り返され、元禄5年(1692年)、本庄邸への2度目の“将軍お成り”の際に4万石に加増されて常陸笠間藩へ移封された。
その後の宝永2年(1705年)1月、将軍世子である徳川家宣の御側役を務めていた戸田忠時甲斐国内8000石から3000石加増の上で下野国足利郡・河内郡都賀郡1万1000石を領することとなったため、大名に列して再び足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない、何人かが大坂定番奏者番などを務めた。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還で最後の藩主・戸田忠行知藩事となる。  (wikipedia・足利藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 小川町駿河台元飯田町辺 : 文化五(1808)年調」[コマ番号2/4・絵図中央小川町右に、戸田大隅守(戸田忠喬)が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図中央左に戸田武次郎(戸田忠文)上屋敷が描かれています。

カメラ西北西方向道路両サイドが足利藩戸田家上屋敷跡になります。