騎兵当番所(神田上水樋管)

マーカーの位置は騎兵当番所です。

騎兵当番所(神田上水樋管)
[桜田門外の変井伊直弼が暗殺された後の文久2年(1862年)に、文久の改革の一環として本格的な西洋式軍隊である「陸軍」の創設がされた。陸軍奉行を長として、その下に歩兵奉行3人と騎兵奉行を置き、歩兵騎兵砲兵三兵編制を導入した。
騎兵は与力旗本である御目見以上の小普請組から編成された。各部隊の士官は旗本やその子弟をあてることとした。  (wikipedia・幕府陸軍より)]

東京都立図書館アーカイブ – 元治再刻飯田町駿河台小川町絵図(慶応元[1865]再刻)」(絵図四つ切左上・一番原御火除地左に騎兵当番所が描かれています。)

神田上水留. [38] 神田橋御門外騎兵当番所掛樋枡御普請一件 文久三(1863)亥年四月 御普請方」(7~10/109・小川町通りから二番御除地(後の騎兵当番所)までの神田上水樋管が描かれています。)
神田上水留. [39] 神田上水神田橋御門外騎兵当番所構内灌馬掘掛樋枡新規御普請一件帳 元治元(1864年)子年四月 御普請方」(16,17/36・騎兵当番所内の神田上水樋管が描かれています。)

カメラ北東方向が騎兵当番所になります。