古河藩土井家・姫路藩酒井家下屋敷跡(鶏声ヶ窪、「鶏声の井」碑)

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    国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP919・コマ番号503/553から姫路藩屋敷の変遷について記載されています。P678・コマ番号383/553「上屋敷 大手向左角」がこの地になります。

    古河藩土井家下屋敷跡
    [曙町古墳(鶏声塚)
    「曙町古墳」は、文京区本駒込1丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には、文京区の遺跡番号13番の古墳(円墳)として登録されています。
     この場所はかつては土井大炊頭利勝の下屋敷だったところで、この地域の地名の由来ともなったある伝説が残されているようです。江戸時代の地誌『江戸砂子』にはこの伝説の詳細が記されており、
     「鶏声ヶ窪 駒込竹町の先。むかし土井大炊頭利勝の御やしきの辺、夜ごとに鶏の声あり、あやしみてその声をしたひてその所をもとむるに、利勝の御やしきの内、地中に声あり、その所をうがち見るに、金銀のにはとり掘出せり、よつてかく名に成りたるといふ。」
     と書かれています。
     この言い伝えが、一帯のかつての地名である「鶏声ヶ窪」の名称の由来ともなっており、そしてこの土井屋敷には「鶏声塚」と呼ばれる塚があったといわれています。
     その後、明治2年のこの地域の町名はこの「鶏声」の意味からとって「曙町」とされており、「曙町古墳」の名称はおそらくこの町名からつけられたもので、鶏声塚と曙町古墳は同一の塚を指しているものと考えられます。  (「「曙町古墳(鶏声塚)」 – 古墳なう」より)]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駒込絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図中央上に土井大炊頭(土井利則)下屋敷が、その左下に酒井雅楽頭(酒井忠顕)下屋敷が描かれ、その間の道に此辺ケイセイカクホと記述されています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨(安政3年・1860)」(コマ番号3/7・地図中央右上に土井大炊頭下屋敷が描かれています。)

    東京市拾五区区分全図 第九 本郷区全図 – 公益財団法人 特別区 …」(地図四つ切左下・駒込曙町が古河藩土井家下屋敷跡になります。)

    カメラ位置は東洋大学別館前で、旧白山通北側一帯が下総国古河藩土井家下屋敷でした。

    姫路藩酒井家下屋敷跡
    [鶏声の井記念碑 白山5-13-5京華女子高玄関横
    土井利勝の下屋敷の前を通る中山道のこの辺りを江戸時代鶏声が窪といった。明治2年には町名をつけるのに鶏声に因んで曙町と命名した。鶏声の井記念碑は昭和3年の建造で、伯爵酒井忠正書である。幕末には酒井雅楽頭の下屋敷内にあったが、昭和49年現在地に移された。(「ガイドテキスト白山」より)]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [23]貮拾元(嘉永七年・1854年)」(コマ番号3/5・絵図中央右上に酒井雅樂頭下屋敷と描かれています。)

    東京市拾五区区分全図 第十壱 小石川区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切右上・小石川原町のエリア内に姫路藩酒井家下屋敷があったことになります。)

    カメラ位置は京華女子高玄関横で、カメラ北東方向垣根の間に「鶏声の井」記念碑と案内板があります。  

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