鷹匠屋敷跡(動坂遺跡)

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マーカーは動坂遺跡碑です。

鷹匠屋敷跡(動坂遺跡)
[動坂遺跡 – 本駒込三丁目。縄文時代の住居跡と土器等が出土。同じ場所で江戸時代の遺跡も発掘。8代将軍徳川吉宗の鷹匠の屋敷跡。  (wikipedia・本駒込より)]

[昭和49年、都立駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認され、2次にわたる発掘調査が行われた結果、縄文時代の遺跡の上に江戸時代の遺構が発見された。縄文遺跡は、縄文中期のもので、住居跡と土器、特におもりが多く出土しこのあたりでの漁労の跡がしのばれる。また、江戸時代の遺跡は、8代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠の屋敷跡であった。現在、動坂貝塚記念碑がある。  (文京区ホームページ・文京区 動坂遺跡(どうざかいせき)より)]

[日本の鷹狩文化の発展において最大の功労者である徳川家康は優れた鷹匠の雇用にも熱心で、文禄元年(1592)には後北條氏の鷹匠、間宮左衛門信繁を雇用、鷹匠頭とした。間宮家は禰津流もしくは諏訪流の系譜にあったとされ5代々鷹匠頭を世襲したが、享保年間(1716~1736)に断絶した。
鷹匠頭は間宮、戸田家が任じられていたが、間宮家が断絶したことから小栗、森川、小林、能勢の諸氏がこれにあたったが、明和7年(1770)から千駄木が内山家、雑司ヶ谷が戸田家の世襲とされた。  (「諏訪流放鷹術 – 要旨」より)]

「江戸幕府の鷹狩り  鷹匠頭」

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駒込絵図」(絵図上中央付近に御鷹匠屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨(安政3年・1856年」(コマ番号3/7・絵図右下に千駄木御鷹仕込場と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [34]貮拾壹亨」(コマ番号126/184・享保二酉年(1717年)頃之形左ページに御鷹方御役屋敷と記述されています。コマ番号125/184・正徳二辰年(1712年)頃之形には榊原式部大夫と記述されています、享保元年・1716年徳川吉宗が将軍になると鷹狩が復活し、間宮信繁と戸田五助が鷹匠頭に任じられました。その後、千駄木御鷹方御役屋敷(組屋敷)となったと思われます。)

動坂遺跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向に動坂遺跡碑と案内板があります。

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