丹南藩高木家上屋敷跡(財務省・中央合同庁舎第4号館)

マーカーは丹南藩高木家上屋敷跡です。

関連リンク – 丹南藩高木家下屋敷跡(根津美術館)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP611・コマ番号349/553から丹南藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 虎門内」がこの地になります。

丹南藩高木家
[丹南藩(たんなんはん)は、河内国丹南郡などに1万石を領有した藩。藩主は譜代大名の高木家。藩庁は丹南郡丹南村(現在の大阪府松原市丹南)の丹南陣屋
藩祖の高木正次は、徳川十六神将の一人高木清秀の子で相模国武蔵国上総国下総国および近江国に9千石を領する旗本だった。元和9年(1623年)に大坂定番に就任し1千石の加増を受け、河内国丹南郡22村に1万石を領する大名となった。
2代正成の時に安房国・上総国に3千石が加増されたが、3代正弘の時に2人の弟に1千5百石ずつ分与して1万石に戻った。
6代正陳の時、参勤交代を行わない定府となった。元禄12年(1699年)には所領の一部を下野国足利郡に移された。
8代正弼の時代の宝暦8年(1758年)には丹南郡の領地の一部を丹北郡志紀郡に移された。明和6年(1769年)には農民が拝借金や配給米を求めた騒動が起き、庄屋22名が江戸屋敷に召還された。この騒動は「郷中騒動」と呼ばれている。正弼は騒動処置の不手際を幕府に咎められ、江戸城出仕を停止された。
12代正坦慶応2年(1866年)、幕府領であった安宿部郡国分村(現在の大阪府柏原市国分)で起きた一揆に対し、幕府より鎮圧の命を受け出兵し、江戸時代中期より困窮していた藩財政は、なお一層窮乏を極めた。廃藩時の借金は3万9000両と小藩としては非常に多額であった。明治元年(1868年)には藩校「丹南学校」を開いた。
明治2年の版籍奉還とともに藩主家は華族に列した。藩領は明治4年(1871年)廃藩置県により丹南県となった。  (wikipedia・丹南藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央右端に高木主水正(高木正坦)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年(1861年) 調)」(コマ番号3/3・絵図下中央に高木主水正(高木正坦)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」[コマ番号61-68/87・左ページに高木勘解由、高木主水正が描かれています。)

カメラ位置は三年坂で、カメラ北北東方向が三年坂の標柱があります。カメラ方向付近が丹南藩高木家上屋敷跡になると思います。