マーカーは壬生藩鳥居家中屋敷跡です。
関連リンク – 壬生藩鳥居家(番町)上屋敷跡、壬生藩鳥居家(下谷)上屋鋪跡、壬生藩鳥居家下屋敷跡、鳥居坂
鳥居忠挙
[鳥居 忠挙(とりい ただひろ)は、文化12年(1815年)2月14日(異説として8月2日)、下野壬生藩第4代藩主・鳥居忠燾の四男として江戸番町で生まれる。文政9年(1826年)12月27日、第5代藩主で兄の忠威が早世した際、その末期養子として跡を継いた。文政10年1月28日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政12年(1829年)12月16日に叙任する。天保8年(1837年)8月15日に奏者番となり、嘉永4年(1851年)7月25日に若年寄となるが、安政4年(1857年)7月25日に病に倒れ、8月10日に世を去った。享年43。
家督は三男の忠宝が継いだ。 (wikipedia・鳥居忠挙より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永3年・1850年)」(絵図中央下・松平出雲守上屋敷の上に鳥居丹後守(鳥居忠挙)中屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久<元年・1861年)」(コマ番号2/3・絵図中央右下に鳥居丹波守(鳥居忠宝)と描かれています。)
カメラ位置は三ベ坂上で、カメラ北東方向が壬生藩鳥居家中屋敷跡になると思われます。