宮津藩松平(本庄)家上屋敷跡(財務省)

マーカーは宮津藩松平(本庄)家上屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP871・コマ番号479/553から宇都宮藩屋敷の変遷について記載されています。P874・コマ番号481/553「上屋敷 虎門内」がこの地になります。

宮津藩松平(本庄)家
[宮津藩(みやづはん)は、江戸時代丹後国にあった藩の一つ。京極高知の代は丹後一国を領したため丹後藩とも呼ばれた。藩庁は与謝郡宮津城(現在の京都府宮津市)に置かれた。
宮津藩の藩主は目まぐるしく入れ替わった。宝暦8年12月27日(1759年)遠江浜松藩より松平資昌が7万石で入って、ようやく藩主家は定着をみることとなった。松平(本庄)氏の家祖・本庄宗資は第5代将軍・綱吉の生母・桂昌院の異母弟ということで大名に取り立てられ、宗資の子資俊より松平姓を許された。当家は7代続き、うち2人が老中、1人が寺社奉行と幕閣の中枢に進出している。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは幕府方として戦ったが敗戦し、以後は明治政府に恭順した。
明治4年(1871年)廃藩置県により宮津県となり、豊岡県を経て京都府に編入された。  (wikipedia・宮津藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央右端に松平伯耆守(松平宗秀)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年(1861年) 調)」(コマ番号3/3・絵図下中央に松平伯耆守(松平宗秀)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」[コマ番号68/87・「文久元(1861)年当時之形」ページ四つ切左下に松平伯耆守が描かれています。)

カメラ北北西方向が財務省で、宮津藩松平(本庄)家上屋敷跡になります。