小城藩鍋島家上屋敷跡

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小城藩鍋島家
[小城藩(おぎはん)は、立藩の時期は諸説ありはっきりしないが、江戸時代初期に初代佐賀藩主・鍋島勝茂の長男・元茂肥前藩領内の佐嘉郡小城郡松浦郡において7万3000石(佐賀藩の内高)を与えられたことに始まる。元茂は長男であるが、勝茂の後添えの正妻(徳川家康の養女・菊姫)の子で四男の忠直が嫡子となった(忠直は早世したため、その長男・光茂が第2代佐賀藩主となっている)。
佐賀城西の丸を当初、政庁としたが、第2代藩主・直能の時に小城(佐賀県小城市)に陣屋を構え政庁とした。なお、直能は文人大名として有名である。
第3代藩主・鍋島元武は第5代将軍・徳川綱吉に重用されて幕政に参加した。
しかし次第に藩財政は悪化した。第7代藩主・鍋島直愈の時代には幕府の御用に対し必要経費が足りず、幕府に拝借金を嘆願したが、これが幕府の怒りを買って叱咤され、肥前本藩の藩主も江戸城登城停止の処罰を受けている。
第9代藩主・鍋島直堯は、文化13年(1816年)に肥前藩から独立して城主格大名となることを望んだが、肥前藩より却下された。小城藩は便宜上は佐賀藩の支藩(内分分知)であるが、他の支藩同様に本家とは仲が悪かった。
明治4年(1871年)、廃藩置県により小城県となる。  (wikipedia・佐賀藩#小城藩(小城鍋島家)より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永3年・1850)」[絵図四つ切右上・鍋島紀伊守(鍋島直堯)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861)」(コマ番号3/3・絵図中央右端に鍋島加賀守(鍋島直亮)と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号78-81/87、83/87、85/87の絵図上右に鍋島加賀守、紀伊守、捨若と描かれています。)

カメラ位置は新幸橋交差点でカメラ北北西方向は小城藩鍋島家上屋敷跡に建つ東京電力パワーグリッド株式会社です。