平河天神

マーカーは平河天満宮です。

平河天神
[菅原道真を主神に八幡宮と東照宮徳川家康)を相殿の神として祭っています。文明10年(1478)に大田道灌江戸城本丸内の梅林坂上に勧請したのが始まりと言われ、徳川家康入城後、本丸修築のためこれを平川門外に移り、慶長11年(1606)現在の地に遷座しました。徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州徳川家彦根藩井伊家の祈願所でもありました。天保15年に氏子町により奉納された銅鳥居や、力石狛犬千代田区の文化財に指定されています。梅が天神様のシンボルであるのと同様に、牛(神牛)も天神様のトレードマークです。平河天満宮にも撫で牛が1体、石牛が4体鎮座しています。御祭神菅原道真公は、承和12年乙丑の生まれということもあり、牛が繰返し噛砕き消化することを学問に擬え、大変かわいがられたそうです。天神様の使わしめ(神牛)の耳元でお願いごとを唱えながら、一番気にかかる箇所をやさしく撫でると、繰返し天神様にお願いしてくださり、撫でた箇所と同じところにご利益があるといわれています。  (千代田区観光協会ホームページより)]

[平河天満宮は、江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478)江戸の守護神として創祀されました。慶長12年(1607)二代将軍徳川秀忠の命で当地に遷座し、現在に至っています。江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478)江戸の守護神として創祀された(梅花無尽蔵に依る)。慶長12年(1607)二代将軍秀忠に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて地名を平河天満宮にちなみ平河町と名付けられた。徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼に宮司は将軍に拝謁できる格式の待遇を受けていた。また学問に心を寄せる人々古来深く信仰し、名高い盲学者塙保己一、蘭学者高野長英の逸話は今日にも伝えられている。現在も学問特に医学芸能商売繁盛等の信仰篤く合格の祈願客も多い。(平河天満宮境内掲示より)  (「猫のあしあと」より)]

平河天満宮 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が平河天神参道です。

資料リンク
国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図」[絵図左中程・平川天神が描かれている。]

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「四之二[3] – 2/3」(絵図中央付近・平川天神と描かれ朱塗りされています。)、「四[87] – 25~32/87、34/87、36/87、38/87」(絵図左ページ中程に平川天神と描かれ朱塗りされています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・平川天満宮

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「平川天満宮」(7-10)、「平川天満宮解説-1」(7-9)、「平川天満宮解説-1・5行目まで」(7-11)

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