彦根藩井伊家上屋敷跡(桜の井戸)

マーカーは桜の井戸です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP930・コマ番号509/553から彦根藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 外櫻田」がこの地になります。

桜の井戸
[東京都指定旧跡 江戸の名水「櫻の井戸(桜の井戸)
「櫻の井戸(桜の井戸)」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。山連式釣瓶井戸で、縦約1.8メートル、横約3メートルの石垣で組んだ大井戸で三本の釣瓶を下ろし、一度に桶3杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。
江戸名所図会に絵入りで紹介され、歌川広重(安藤広重)の「東都名所」の「外櫻田弁慶櫻の井」(天保14年〔1843〕)にも描かれている。安政7年(1860)3月3日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から登城途中、暗殺された。
大正7年(1918)史蹟に定められ、東京とは昭和30年(1955)旧跡指定。
昭和43年(1968)道路工事のため交差店内から原形のまま10メートル離れた現在地に移設復元された。
平成19年(2007)彦根城築城
400年祭と東京金亀会設立90周年に記す  平成19年(2007)10月 東京金亀会(滋賀県立彦根中学校・彦根東高等学校同窓会) 東京都教育委員会 (「東京都千代田区の歴史 桜の井戸」より)]

柳の井
[場所:永田町一丁目1先 国会前庭北地区洋式庭園向い側堀端土手内
東京都指定旧跡 1955年(昭和30年)3月28日指定
桜田濠の土手下にある井戸は傍らの柳の木にちなみ柳の井と名付けられました。江戸時代には旱魃の際にも枯れることのない名水として知られ、多くの通行人が利用したと言われています。  (「柳の井 – 千代田区の文化財」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図」(絵図上中央に井伊掃部頭上屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二」(コマ番号2/3・絵図中央右に井伊掃部頭と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号61-68/87・絵図四つ切右上に「井伊掃部頭」と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「桜の井・桜の井解説は左ページ中程」(7-14)、「柳の井」(7-13)
桜の井(拡大図)

桜の井の北側堀端に柳の井がある。(Google Map)
柳の井(拡大図)

桜田濠の土手に位置する「柳の井」 : 皇居外苑 – 国民公園協会

狂歌江都名所図会 – 霞ヶ関 桜の井(拡大図)

狂歌江都名所図会 – 平川 柳の井(拡大図)

東都名所 外桜田弁慶堀桜の井

桜の井戸 – Google Map 画像リンク

カメラ画像は2015年3月で、カメラ西北西方向に井伊掃部頭邸跡(前 加藤清正邸)標柱があり、その左にあるのが移設復元された桜の井戸ですが、現在はさらに東側に移設されています。

カメラ西方向が再移設先の桜の井戸です。

柳の井案内板(Google Map 画像より)

櫻田濠端にある柳の井 – カメラ東北東方向に柳の井の案内板があります。(Google Map)

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