美作勝山藩三浦家上屋敷跡(経済産業省)

マーカーは美作勝山藩三浦家上屋敷跡です。

関連リンク - 三浦坂(美作勝山藩三浦家下屋敷跡)美作勝山藩三浦家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP739・コマ番号413/553から真島藩(勝山藩)屋敷の変遷について記載されています。P741・コマ番号414/553「上屋敷 虎門内 内幸町二丁目邸今帝国議会所在地」がこの地になります。

美作勝山藩三浦家
[勝山藩(かつやまはん)は、美作国真島郡勝山(岡山県真庭市勝山)に拠点を置いた藩。藩庁は勝山城に置かれた。高田藩(たかだはん、たかたはん)、美作高田藩(みまさか たかだはん、みまさか たかたはん)とも称される。藩主家は三浦家
江戸時代中期の明和元年(1764年)、譜代大名三浦明次三河国西尾藩より転封してきた。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩した。真島郡高田村の高田城を藩庁としたため、当初は高田藩などとも称されるが、しばらくして、高田城を勝山城に改称し、これを受けて勝山藩と称されるようになる。
2代矩次は真島郡新庄村(現・真庭郡新庄村)にある鉄鉱山経営を奨励し財源確保に努めた。幕末には鉄鉱山は藩営となった。
明治2年(1869年)真島藩(ましまはん)と改称。明治4年(1871年)廃藩置県により真島県となる。
戦後、岡山県により勝山町並み保存地区に指定された。  (wikipedia・美作勝山藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永3年・1850)」[絵図中央右端・三浦志摩守(三浦朗次)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861)」(コマ番号3/3・絵図下右に伊東麟之助(三浦弘次)と描かれています。)

カメラ位置は霞が関二丁目交差点で、カメラ西南西方向が美作勝山藩三浦家上屋敷跡に建つ経済産業省庁舎です。