薩摩藩装束屋敷跡(元鹿鳴館)

マーカーは鹿鳴館跡を示すプレートです。

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薩摩藩装束屋敷
[この地には江戸時代には薩摩藩の装束屋敷があり、加賀藩の赤門に対する黒門が設えられていた。明治時代には鹿鳴館が置かれた。昭和に入ると、大和生命(現 プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険)の前身である日本徴兵保険に払い下げられ、黒門や鹿鳴館の建物を残したまま、ルネサンス調の3階建の社屋が建てられた。鹿鳴館は1940年に老朽化のため取り壊され、黒門も第二次世界大戦の戦災で焼失した。  (wikipedia・NBF日比谷ビルより)]

[江戸時代、東京都千代田区、日比谷公園から道路を挟んで向かい側にある大和生命ビルの場所に、薩摩藩中屋敷がありました。中屋敷とは、藩主の跡継ぎが住んでいたところ。薩摩のような大大名は江戸に上屋敷・中屋敷・下屋敷の所有を許されていました。藩主が住んだのは上屋敷です。この中屋敷が装束屋敷と呼ばれるようになったのは、江戸上りの琉球使節一行が江戸城に登城する際、ここで装束を着替えたからと言われています。  (「薩摩藩・装束屋敷跡:“蔡温時代”の探訪ノート 」より)]

鹿鳴館
[鹿鳴館(ろくめいかん)は、国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として明治政府によって建てられた社交場である。鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼ぶ。当時の極端に走った欧化政策を象徴する存在でもあった。
建物は後に華族会館となり、1940年(昭和15年)に取壊された。
計画を推進したのは外務卿(内閣制度以降は外務大臣井上馨である。当時の日本外交の課題は不平等条約改正交渉、特に外国人に対する治外法権の撤廃であったが、日本に住む外国人の多くは数年前まで行われていた磔刑や打ち首を実際に目撃しており、外国政府は自国民が前近代的で残酷な刑罰に処せられることを危惧して治外法権撤廃に強硬に反対していた。そのため井上は欧化政策を推進し、欧米風の社交施設を建設して外国使節を接待し、日本が文明国であることをひろく諸外国に示す必要があると考えた。
それまでは国賓の迎賓館として準備された建物はなく、1870年(明治3年)、急遽改修した浜離宮延遼館かあるいは港区三田蜂須賀侯爵邸などを借用していた。鹿鳴館の建設地は内山下町の旧薩摩藩装束屋敷跡(現在の千代田区内幸町、現帝国ホテル隣のNBF日比谷ビル(旧 大和生命ビル)の地)に決まり、1880年(明治13年)に着手。途中規模変更(拡大)があり3年がかりで1883年(明治16年)7月に落成。設計はお雇い外国人のジョサイア・コンドルで、施工は土木用達組が担当した(大倉喜八郎と堀川利尚との共同出資で設立した組織。大倉喜八郎が創立した大倉組商会の建設部門は大成建設株式会社の源流である)。
煉瓦造2階建てで1階に大食堂、談話室、書籍室など、2階が舞踏室で3室開け放つと100坪ほどの広間になった。バービリヤードも設備されていた。
鹿鳴館・wikipedia-photo、鹿鳴館全容モデル。(江戸東京博物館)・wikipedia-photo、鹿鳴館黒門(薩摩藩装束屋敷・1940年頃)・wikipedia-photo  (wikipedia-鹿鳴館より)]

鹿鳴館跡 – 千代田区観光協会」、「鹿鳴館と文明開化 | クールジャパンNavi

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡江戸〔庄〕図(出版年月日・〔寛永9(1632)頃〕刊」(絵図中央左方向・幸橋御門右方向に「嶋津さつま」(島津家久)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文10(1670)刊」(絵図中央左方向・幸橋御門右に「松平大スミ」(島津光久)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永3年・1850年)」[絵図右上・松平薩摩守が薩摩藩装束屋敷です。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861年)」(コマ番号3/3・絵図右下付近「松平修理太夫」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号78/87「延宝(1673-1681)年中之形」~81/87「文化五(1808)年之形」、83/87「天保九(1838)年之形」、85/87「文久元(1861)年当時之形」・絵図中上付近「松平修理太夫」と描かれています。)

鹿鳴館跡の碑 – Google Map 画像リンク

カメラ位置はNBF日比谷ビル(薩摩藩装束屋敷跡・元鹿鳴館)前で、カメラ東方向の帝国ホテル境の壁に鹿鳴館跡を示すプレートが設置されている。

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