隼町

スポンサーリンク

マーカーは町名由来板ガイド板です。

隼町
[江戸城内堀に面したこの界隈には、徳川家康江戸にやってきた当初、鷹匠たちの屋敷がありました。鷹匠とは、タカハヤブサを飼育し、鳥や小動物を捕らえるよう訓練する専門家のことです。つまり、隼(はやぶさ)という町名は、鷹匠の屋敷があったことに由来しているのです。
江戸時代、このあたりには、播磨国明石藩松平家や、三河国田原藩三宅家などの武家屋敷や、火消役屋敷がありました。田原藩の家老となり、画家・思想家としても名高い渡辺崋山も、この地に生まれ、生涯の大部分を過ごしました。
元禄年間(1688~1704)、麹町(こうじまち)通りに面した町屋裏の武家地(現・麹町一丁目5番地および7番地)は町人地となり、麹町隼町と呼ばれていました。それが、明治5年(1872)、麹町一丁目に含まれることになったため、南側の武家地だったこの一帯に、由緒ある「隼町」という町名が付けられることになったのです。
明治以降、町内には陸軍の施設であった教育総監部東京衛戍(えいじゅ)病院、航空本部などが立ち並び、隼町は軍と関係の深い土地になりました。
そんな隼町に、昭和41年(1966)、日本の伝統芸能の保存と振興のために国立劇場が開場しました。同47年(1972)、その隣に最高裁判所が建ち、また同54年(1979)には、国立劇場敷内に国立演芸場が開場しました。国立劇場および演芸場は、歌舞伎文楽落語講談などの伝統芸能の公開、調査研究を目的とした施設です。
こうして戦後の隼町は、日本の司法と伝統文化にかかわる町として生まれ変わったのです。  (「千代田区 町名由来板ガイド:隼町(はやぶさちょう)」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図」[絵図左上に隼町と記述されている。]

隼町広場 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向に町名由来板ガイド板があります。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*