マーカーは麹町4丁目です。
麹町
[古くは糀村(こうじむら)と呼ばれたとも言われている。徳川家康の江戸城入場後に城の西側の半蔵門から西へ延びる甲州道中(甲州街道)沿いに町人町が形成されるようになり、半蔵門から順に一丁目から十三丁目まであった。このうち十丁目までが四谷見附の東側(内側)にあり、十一から十三丁目までは外濠をはさんだ西側にあった。
町名の由来
町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を勤めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である。 (wikipedia-麹町より)]
[この界隈(かいわい)が麹町(こうじまち)と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
麹町は、麹町大通り(新宿通り)の両側に形成された町でした。文政(ぶんせい)7年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には菓子店の名が、明治時代に書かれた『麹街略誌稿(こうじまちりゃくしこう)』には、牽牛子煎餅(せんべい)やとくに落雁(らくがん)が名物だったと記されています。『新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)』によると、お鉄という女性が売りはじめたお鉄牡丹餅(ぼたもち)や、助惣焼(すけそうやき)(現在のクレープのような菓子)などを売る店があり、いずれも名物として広く知られていました。
また、安政(あんせい)3年(1856)の絵図にも見られるとおり、現在の麹町二丁目にあたる地域は、町屋の北側に明地(あきち)があり、武士たちが弓術(きゅうじゅつ)などの修練をする大的射込(おおまといこみ)稽古場や放生寺(ほうじょうじ)の拝借地(はいしゃくち)となっていました。
明治以降、このあたりは商店街として栄えましたが、現在ではオフィスビルの立ち並ぶ都心のビジネス街へと姿を変えています。 (「千代田区総合ホームページ – 千代田区 町名由来板ガイド:麹町二丁目」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図左に麹町一丁目 – 十丁目が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861年)」(コマ番号2/3・絵図に麹町一丁目 – 十丁目が描かれています。)
「東京市拾五区区分全図 第四 麹町区全図 – 特別区協議会」
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「山王祭」(2-2)
山王祭(拡大図
[図会の出し物の下に「麹町 壱丁目」と描かれ、絵左の天水桶に描かれる屋号が岩に見えるので、岩城枡屋前と考えました。]
カメラ位置麹町一丁目・半蔵門前です。
カメラ位置は麹町五丁目と六町目境(現在の麹町4丁目)になり、カメラ南方向が善国寺坂です。
カメラ位置は麹町十丁目(現在の麹町6丁目)・四ッ谷見附前です。
江戸水道の石桝と木樋
[この石枡は、昭和45年(1970)の麹町通り拡幅工事の際に千代田区麹町3丁目2番(Google Maps)地先の道路で出土した玉川上水幹線(本管)の一部です。
江戸は、慶長・寛永期と時を経て人口が増加すると、小石川上水や溜池上水といった旧来の上水だけでは水不足となり、新しく玉川上水が開発されます。玉川上水は、承応2年(1653)に着工され、翌3年(1654)6月に、羽村出身の清右衛門・庄内衛門兄弟によって工事は完成したといわれます。この工事によって、羽村で堰を設けて多摩川の水を取水し、武蔵野台地の勾配を利用しながら四谷大木戸(現在の新宿区四谷4丁目)に至る43kmに及ぶ水道を造りました。四谷大木戸で石樋や木樋による暗渠となり、江戸城内をはじめ、麹町・赤坂・虎ノ門などの武家地や京橋川以南の町地にも給水されていました。
発見された水道は、四谷門をわたり江戸城内に給水された玉川上水幹線で、図のように数段重ねた石枡に木樋を繋いでいます。このように当時は、所々に分水用や水質管理用、揚水用の枡などが設けられていました。この巨大な石枡は、江戸水道幹線の大きさを示すとともに、当時の都市施設の実態をしのばせてくれます。
なお、石枡とともに出土した木樋は、区立四番町歴史民俗資料館で保管されています。
平成14年3月 千代田区教育委員会 (「n060 清水谷公園 紅葉 -出かけませんか?-」より)]
麹町(玉川上水樋管)図(スクロールしてご覧ください。「東京都立中央図書館 – 玉川上水絵図 」より。)
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「玉川上水留. [98] 御本丸掛吹上掛玉川上水麹町弐丁目より半蔵御門外石出枡迄樋枡御普請一件帳 元治元子年五月より丑四月 分冊ノ一」(21~27/131・半蔵門前、麹町一丁目周辺の玉川上水樋管が描かれています。)
カメラ東方向が清水谷公園に展示されている上水石桝です。